『KAGEROU』

KAGEROU

KAGEROU

水嶋ヒロだ、ということで過小評価されるんじゃないかなーって想像していたので、私はそういう偏見を持たないぞ!ものすごく面白いかもしれないし、そしたら嬉しいじゃないか!って思って読みました。すでに偏見持ってるってゆう。
で、覚悟していたほどひどいものではなかったです。でも、面白かったかと言われるとちょっとなぁ。お話自体は嫌いじゃないのですが、食い足りない。色々なことが、すこーしづつ薄い。
自殺をしようと、廃墟化したデパートの屋上でフェンスを乗り越えようとしていたヤスオに声をかけてきた、黒づくめの謎の男性キョウヤ。彼の提案は、ヤスオにとってとても魅力的なもので……。というのが物語の始まり。

この小説においてキモなのは、多分ヤスオ以上に「京谷(キョウヤ)」の魅力だと思うのですよね。かなり恐ろしい提案をしているのに、ヤスオがするっと受け入れるのは、ヤスオが自殺を固く決意していたからっていうだけじゃなくて、キョウヤの人となりが魅力的だから、である必要があると思うのです。そして、ヤスオと一緒に読者もキョウヤに誠意を感じ取ってしまったり、なんかこの人好きだわーって思ってしまって初めて、ヤスオが逃げようともせずにキョウヤと一緒にいることに違和感を感じなくなると思うのですよね。
いや、だからと言って「なんで逃げないの?」と思いながら読んでいたわけじゃないです。ヤスオが逃げない理由はちゃんと書いてあるし、納得もいく。ただ、もう一つ深みが欲しいなぁ、という読み手としての贅沢な要求が出てしまう、という話なのですが。
キョウヤを好きになるための要素は沢山ありました。何かを言おうとしてやめたり、何か割り切れていないものを抱いているように感じたり、片言の巨漢が相方として出てきたり、要素は沢山あるのに、好きになるための決定的な要素が、どこか欠ける。同じように、アカネという少女も何かひとつ魅力に欠けていました。父親の自殺に対して責任を感じている美しい少女、以上の、何かが、欲しかった。
で、多分、その欠けている何かとは、ユーモアなのじゃないかと思うのです。*1
キョウヤには、伊坂の描く死神や殺し屋の影響を感じる。あるいは、春樹の描く羊男の。けれど、春樹や伊坂の描く人物にあるユーモアが決定的に、ない。
人工心肺の装置に偶然一致しちゃうベッドのL字の器具とか、ギャグすれすれだと思うのですけれども、それを成立させるためには、本当はもう一歩、世界観をファンタジーにできなかったものかなぁ、と思うのですよね。もう少しだけフシギを増やすというか。
もしもこの小説が、伊坂や春樹の匂いをまったく感じさせなかったらもしかしたらそんなことは気にしなかったのかもしれません。でも私は読みながら「この人伊坂(春樹)が好きなんだろうな」と思ってしまった。もしも水嶋ヒロが伊坂(春樹)を読んだ事なかったら申し訳ないけれど、私は多大な影響下にある、と感じました。
ひとつ、私が「おお」と思ったのは、「え、そんなことしてハンドルどうしてるの」と思うと、きちんとその説明が出てくる、という点でした。両手に交互にまわしながらはしごの昇り降りをするって、どういうふうに?とは思いますが。どういうリズムでまわしているかがわかりやすく描写してあると、そのへんの画が浮かぶというか、だから、薄いんだよ!すこしづつ!いろいろ!!
でも、これを習作として、これからもっとページの多い、密度の高いものを書くようになったら……と思うと楽しみです。

*1:ダジャレは何個か出てくるんですけれどもね。そういうことじゃなくてね。