ズニ・イコサヘドロン


フロイト・イン・サーチ・オブ・チャイニーズ・マター・アンド・マインド』
2003年12月10日 東京芸術劇場 中ホール
ズニという香港のパフォーミングプロダクションの公演。おそらく、政府のなんちゃらとか国際交流なんちゃらとかそういう関連だと思います。友人が照明の通訳のためにNYから呼び寄せられていたおかげさまでタダ見してきました。
『パオニーパビリオン』という17世紀中国の夢物語を、フロイトの理論を通して演じることで中国の夢物語を再構築してホニャホニャと、パンフレットには書いてありました。なんのことやら。
昆曲のパフォーマーの女性がなにやら京劇ちっくに台詞を言っており、その頭上には英訳と中国語訳の台詞やら解釈やらがプロジェクターによって映写されている。というのが主な内容。中国語ってどうしてこんなに素敵に眠たい調べをしているの?とウトウトしてしまいました。えへへ。
でも、そのパフォーマーが舞台にいない時の舞台(つまり、無人であるか、オブジェクトのように微動だにしない男性が居るだけの状態)はすばらしかったです。
舞台の一番前、中、と2重に張られた紗幕(って皆様おわかりになるんでしょうか。いま、恋人に聞いたら知らないようでしたので、一応説明いたしますと、網戸のうんと目の細かいものが幕になっている、と考えていただければOKです)に投影される奥行きと透明感のある映像と、舞台中のムービングエフェクトと音楽と、反射角を計算して配置された鏡とに、軽くトリップ感すら覚えました。アレがもうちょっと続いたら気持ち良い世界にいけたことと思います。
映像そのものは、そんなに斬新なものではなかったのですが、紗幕に投影っていうのが、ほんと気持ちよくはまってたなあ、と思います。えーと、つまり、紗幕っていうのは、夜のガラス戸とかを思い浮かべてもらえればわかると思うのですが、暗い方から明るい方を見ることだけができる代物なのです。舞台が暗くて客席が明るければ、舞台上は見えないし、逆に舞台が明るくて客席が暗ければ、そこに幕があるとは気づかないくらいに透明になってしまう、ということです。暗い舞台に、ムービングするサスの明かりがグルグルと動いて、しかも、それが鏡で反射されて紗幕に線を描きだし、そこに重なるように奥行きのある映像が映写されていて、えーと、黒地に文字や幾何学模様が浮かび上がってくるような映像だったのですけれども、その黒地の部分は当然映写である以上「光があったっていない」状態なわけで、その部分からだけは舞台中が見えるんだけれども、その映像自体もすごいスピードで変化していっているから、そこを観ているうちに自分を含めた劇場全体が、こう、ごごごごごおぉぉぉっとどこかに連れて行かれるような感覚になる、と。言葉で伝えることは難しい。
これは、面では絶対にできない表現だ、と感動しました。今までにも投影するって技術はさんざん舞台でも使われてきたんだけれども、私がみてきてのは紙芝居的に平面に映像がうつっているだけのものだったんだ、と気づく感動。舞台と映像が融合するって、こういうことだ。
たぶん、友人のコネでもなかったら一生いくことのなかったパフォーマンスだったと思います。たまにはこういう趣味の範囲外のものを観るのも良いものだなー。