なんか妙に長文になったよオタク男女差別語り

最近、ちょこちょこと男性オタクの皆様とお話する機会があって、そこで交わした会話などを元にボンヤリと考えたことをメモします。会話を交わした記憶のある皆様は怒らないでください。


男性オタクが夢見るほど、女性オタク(含腐女子)は俗世から乖離して生きてはいませんよ、というお話です。


基本的に女性というのは、非オタとも潤滑にコミュニケーションを保とうと思ったらお洋服へのアンテナをにぶらせるわけにはいきません。
ファッションっていうのは見た目にわかりやすい属性の表示であって、お洋服の感性が近いとか、感性は近くないけど目指しているベクトルは理解できるとか、そういう見た目での相互理解(それはもちろんよく知り合ってみると全然違ったりすることもある)はものすごく重要です。エビちゃん系なのか、古着屋系なのか、無印良品+A.P.C.なのか、Cutieの街頭写真が目標系なのか、そういう見た目で属性を察知して、なんとなーくコミュニケートするのが基本にあると思って良いでしょう。
そして、女性同士のコミュニケーションにおいては、そういう相互理解が「できる」という時点で、ある程度の安心感が得られるのです。「話してみたらオタクだったけど、でもぱっとみは普通にオシャレな子なんだよー」というのはアリになった昨今、ある意味生き易い。
でも逆に言えばこれが、社会で普通に暮らしていくための最低スキルになると言えます。


思春期にオタクまっしぐらで生きてしまうとアンテナを育て損ねます。大学を卒業してから自分とまったく違う人種と職場で接しなくてはならないときに、そこはかとなく疎外感を感じて焦ってお洋服のアンテナを研ぎ澄まそうとしても、割ともう遅い。なんだってそうだけど、アンテナを研ぎ澄ますことができるようになるにはそれなりの年月とお金を費やさなくてはいけないからです。
それが育たなかったオタク女性たちは、同じように育っていない人たちとだけ交流していくことになります。そしてそういう人たちはぱっと見でわかるから、ますます一般女性たちからは隔離され、たいていにおいてバカにされていくのです。*1


ああ、でも、例えば、PINK HOUSE族(今でもいるのかどうか知らないけど)がオタクの代名詞となってしまったのは、あれはファッションへのアンテナの張り方を思春期に学べなかった女性たちが焦って飛びついた記号的にわかりやすい「あるファッションの指針」だからだ話が必要かなー。
もちろんPINK HOUSEにはPINK HOUSEなりのコーディネートの機微みたいなものが存在していることは理解しているので信者の皆様には冷静になっていただきたいのですけれども、でもなぜある時代にピンポイントでPINK HOUSEだったかという理由は明白で、あそこで高いお金を出して上から下まで買い揃えれば、コーディネートセンスが糞以下という人であっても、あるひとつの「お金をかけたファッションの形」にはなることが間違いなかったからです。
そうやって普段はファッションにアンテナを張っていない、手持ちのアイテムでコーディネートとかに自信のない人でもお金さえ出せばオシャレに参加したような気分になれる。それがPINK HOUSEだったわけです。靴、靴下からリボンまでPINK HOUSEでそろえておきながら髪の毛ぼっさぼさでファンデーション浮きまくっていて持っている鞄は実用重視の黒いナイロンの巨大バッグ、とかいう金子功が見たら失望のあまり泣くよ、という人が一時期跋扈していたのは、そういうことだと思うのです。
で、たぶん、とても近いところにある意味でゴスロリとかもいるんですが(だからオタクにはゴスロリっこが多い)(つまり記号としてのファッションとして、微妙なアンテナを必要としなくて、そろえやすくて、見た目が派手で、お金がかかる)(このお金がかかるのは結構重要)(お金かけてる=ファッションに敏感という幻想)、ただ問題は、こちらは元々正統派(正統派?)としての精神論とかからきているゴシックロリータな皆様というものが存在していて、これはこれでファッションオタクで楠本まきファンだったりして今話題としているところの「オタク」と若干かぶらなくはないんですけれども、まぁ、ファッションとしての属性とか美学とかの猛々しい表示であってパンク同様に「自分達の属性を服装で示して他者にアピールする」正しいファッションのあり方の一つではあるのでそのへんをごっちゃにしちゃ失礼ですよ問題があるので難しいからパス。多分、元々ゴシックロリータを愛していた人たちは、昨今のオタク内ゴスロリブームに腸煮えくり返っていることでしょう。


つまり、何が言いたいかと言いますと。たとえ一見同じくらいの深度でオタクであるように見えたとしても、男性オタクと女性オタクとでは、根本からの一般社会との関わり方が違うんだよ、とういうことです。
同じように非オタクの同僚とある程度飲みに行ったりの交流をしている男性オタクと女性オタクがいたとしても、そのファッションに対して払われている努力というのは比ではないし、ファッションに対して努力をしているということは、一般社会へのアンテナを失っていないことになる、ということです。
一時期インターネットで男性もオタクに見えないファッション塾的なサイトが流行したりもしましたけれども(そしてたしかにそう見えないって人も中にはいますけれども)でもやっぱり同じ数の女性オタクと男性オタクを集めたときに、ファッションへの関心の深度はあきらかに異なります。見た目がださいって理由で疎外されたりするリスクが男性のほうが少ないんだから、これはもう当たり前なんですけれども。


私たちは、テ○ミュのチケットに10万円を支払いますが、同様にお洋服や髪型などのファッションにも毎月3〜5万円くらい*2は投資しているのです。そうやって、均衡をとっているのです。
だから、「ポンと非オタクの中に放り込んでも少なくとも見た目的にはオタクとばれない」というスキルを身に着けている女性オタクは、たとえ同じオタクに見えても、男性オタクの皆様とは身についている一般社会とのコミュニケーションスキルが段違いだと考えたほうが良いのです。俗世から乖離して生きてはいないのです。


自分達と同じ深海魚だと思って安心していると、思わぬガッカリを味わうことになると思いますよ、というお話でした(そうだったのかー)

*1:もちろん例外として堂々とファッションにまったく関心を示さないオタク女子も存在してはいるけどとりあえず今はもう圧倒的多数ではないだろうと判断して除外。夏と冬のビッグサイトでは若干この考えが揺らぎますけれども除外。

*2:言うまでもなく人による