読書日記 『頼子のために』 法月綸太郎

頼子のために (講談社文庫)

頼子のために (講談社文庫)

ひさびさにミステリー。法月作品は、初。興奮しながら読むことはなかったけど、グイグイ読める面白い作品でした。読みながら「こうかしら」「こういうことかしら」と推理小説の登場人物さながらの口調で一人推理しながら読むようなタイプの作品。正統派。
最後の最後の大詰めのところで眠気に負けてしまったのが残念。最近いつもこんなこと言ってるなあ。読書欲が睡眠欲に負けるなんて、年かなぁ。


<以下ネタバレ>


柊は違うぜ、というのは誰にでもわかるんだけれども、じゃあ誰って、わからない。私はファーストインプレッションでは高田が絶対にあやしい!と思っていました。だって、なんかやたらと手記で良いやつだって書いてあるんだもん。
なので、法月探偵が作中で高田はちがう、とはずしてもすぐには納得しませんでした。たしかに教授が自殺する理由は見当たらなくなっちゃうんだけど。たとえば、奥さんに高田に頼るような部分があったことが判明したら、奥さんを失望させないために、みたいな理由はどうとでもデッチあげられそうじゃないか、この作品の場合。
なんというか、全体的に無理矢理感がただよっている、と感じました。無理矢理、正解への導きを見せられている、というか。でも、まあ、そういうことを言い出すのはミステリーの読み方として正しくないので放置。
この作品のキモは、最後の最後、奥さんは全てを知っていた、というところで、その救いのないラストは印象的でした。
文庫版解説に引用されていた綾辻の言葉が面白かった。


毎年毎年いろんな(ミステリーの)賞の選評をみてても……もう枕詞のように」ミステリーとしては貧弱だが」「トリックは今いちだが」ってね。そんなの乱歩さんが聞いたら泣くんじゃないかな。ミステリーとして良いものというのが裂きで、小説部分弱さとか、人間が書けてないとか、そういうのの方がむしろ後だと思うんです。……とにかくミステリーであるってことにこだわって欲しい。きっとそういうところで、僕とか法月君とか、みんなこだわってるから、ある意味で、稚拙かもしれないけれどもこだわってるから、同じような思いを抱いている読者が今ついてきてくれてるんじゃないかなあ、と思うわけです
なるほど。私もよくそんなこと(登場人物に魅力がないとか)を言います。ミステリーを読み始めの頃には、逆にトリックへの驚きに執着していたのになあ、とか、思い出しました。
でも、ミステリーである前に、小説じゃないか、とも思ったり。やっぱり特殊なジャンルだな、ミステリーって。