読書日記 『人間失格』 太宰治

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

あら。というのが読了後の心中第1声。こんなにノンキな話だったっけ。高校生の時に読んだ時は、もっと難解で絶望的なお話だったと思っていた。ぜんぜん違った。
自分が人を愛することができないと信じる病、というものは、あるのだと思う。それが真実、病であるかどうかは別として。私はそういう小娘だった。いつまでかって、正直に申し上げまして、今の恋人と付き合い始めるまで。
そして、そのゲシュタルト・チェンジ以前の私と以後の私とは、まるで別人格のごとく色々な考え方が異なるので、高校生の頃とまったく違うことを感じるのは、まあ、なんというか、成長という一言で済ませてしまいたいくらい当たり前のことなんだろう。
しかし、心に突き刺さるものがなくなってしまった、というのは嘆くべきことなのかもしれない。
私が胸打たれたのは、ヨシ子のこと。無垢な処女性の象徴のことをのみ愛するということは、すごくすごくすごくわかる。真白き、ということは、貴ぶべきことだ。私にとってのヨシ子は、異性ではなくて同性だったから、私はレズビアンなのかしら、と本気で思い悩んだこともあったのだけれど、今はそれを幸せなことだと思う。
自分を真人間とは思えない苦しみは、とうの昔に過ぎ去ってしまって、今の私には残念ながらその苦しみの残滓もないのだ、ということがこの小説を読んで身に染みてわかったのだけれど。同時に、やはり私にとって彼女の存在というのは恋人以上に重要だったんだ、と切に切に感じた。
NYには、毎度彼女を訪ねて行くのです。
しかし、とても個人的な感情に依って読まれる小説だね、これは。