『匣の中の失楽』 竹本健治

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

本屋の『これぞミステリー!これを読まずに何を読む!』みたいな手書きポップに引かれて購入してみたはいいものの…
やっと読了したー!!長かった。長かったですよ。二週間くらいは読んでいたんじゃないだろうかと思います。
いや、だってこれ全然登場人物の人となりが頭に入ってこないんだもの。キャラまるで立ってない。なのにすごい人数でてくる。中学生の頃に初めて読んだドフトエフスキーがこんな感触だったことを思い出しました。「誰」が「何」をしているかっていうのがイメージしにくい文章って、ものすごく苦手です。
そういう意味では、この本はまるっきりダメでした。肌に合わないってこういうことだなーと思います。ほんと、つらかったー。とくに第1章読了までは苦行。第2章が終わる頃になると、あいかわらず登場人物はよくつかめないんだけど、ミステリ的に謎というか構成というかが面白いので割りとすんなり。
それでも最後の最後まで人間描写は納得いかないことづくしなので、人間が描けているかどうかを重視する(ていうか私は人間が描けていない小説なんて読みたくないよ)人にはおすすめしません。パズラーは読むといいよ。


<以下ネタバレ>


1章おきに、ナイルズの創作という趣向。でも、どっちが「作中作なの?」というのは面白かった。結論から言えば、最終章が曳間が倉野の部屋で殺されていたほうの物語なので、そっちが作中現実ってことになるんだろうけれど。でもどちらも結局は作中ですよー、という。メタでした。いやそうはっきりと断言はされてないけど。そういうことだよね?この作品て。
1つのグループに対して次々に起こる2つの平行世界の中での殺人と推理合戦。もーなんか、おなかいっぱいって感じでした。次々に謎も提示されるけど、推理する人が変わるたびに手がかりも変わるし新事実が次々でてくるし。字面追うので精一杯。
って、ようするにこの小説は、そういうミステリ的解決へのなにがしかをほにゃららとかそういう意味合いも含んでいるってことなんでしょうかね。


とにもかくにもこの小説の登場人物はおかしい。まるで人間じゃない。ミステリーのための人間。なのに、キャラが立ってないからそれを発言したのが誰なのか、こちらで殺されたのはどの人なのか、甲斐がブサイクなのはどっち???という感じで、まったくもって惜しい。大体喋る口調とか不自然だしさ。そういうところで個性を表現しようとしたのかもしれないけど。一人称が「我輩」の数学オタクも一人称「小生」の薬学部もなんもかんも似てるっつの。もっとさ、こう、なんつうか、そういう単語レベルじゃなくて、性格とかが行間からにじみ出るように伝わるように書いてくれなくっちゃだわさー。せっかく「物語」として存在しているのに。
まったく同じ構成で、もっとキャラ立ちのうまい人が書いてたら10倍面白いよ、これ。
だいたい最初の「連続殺人でなくてはならない」とか、そういう条件付けとかからしておかしい。意味がわからない。必然性を微塵も感じない。ミステリーファンだからって、そんなことするかー。っていうのもまあ最後のナイルズの解決編で一応答えが出てるんだけど。
それにしても、人が死んだっつうのにみんな集まって推理合戦しすぎよー。電車でなごみすぎよー。


そういう意味で納得のいかない一冊でした。ミステリーとしては、どうだろ。面白かったかな。最後のナイルズの推理はかなり良かったし、「どこからどこまでが作品」という構成も私好みではありました。
ただ作中の人が「読者というものが存在していたら、どちらが現実かわからないのじゃないか」という議論を作中の人間がするのは一度でいいんじゃないかな。ああ、まあ、どちらの人物もそう思っていなくてはいけないっていうのがあるのか。

ってここまで書いて気付いたんだけど、これはこないだのラッシュライフみたいなことは起きていないのかな。つまり二つの世界(作中における、現実と作中)が交差しているというか、いつのまにか入れ替わっている、というような。ないか。検証とかする気にもなれなかったからざざざーと読んでしまったんだけど。


うーん、全体としては人物が描けていなさすぎてイマイチ。