『Deep Love アユの物語』 Yoshi

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

ひどい。ひどすぎる。怒りすら覚える。『リアル鬼ごっこ』のほうがこの本よりはるかにマシだ。『リアル鬼ごっこ』は笑う要素があった。それは作者が意図した「笑わせる」要素ではなくて、いわゆる「笑われる」笑いではあったけれど、それでも「ひっどいんだよーひどすぎて一読の価値ありだよ!」と紹介することができた。
この本には、それができない。


時間の無駄だから、絶対に読むべきじゃない。


この本が売れている、と聞いた時、そして、そのおおまかな内容を知った時、これを書いたという胡散臭い中年をテレビで見た時。安っぽいのであろうことは想像がついた。でも、これを読んで女子高生たちが泣くんだったら、そこには何かがあるんだろうと思っていた。
涙には方程式がある。それを踏まえていればいいってもんじゃないけれど、たとえば一人の人間の死であるとか、そういうものを上手に演出して書けば、たとえそこに真に人が書けていなくても、読者を泣かせることはできる。
そういうものを、「お涙頂戴モノ」などと言って、人は馬鹿にする。そういう本なんだろうと想像していた。援助で女子高生で渋谷でおばあちゃんと交流で後悔でエイズだ。しかも犬まで出てくる。どこをどう切ったって私はなんだかんだいいながらも泣くんじゃないかとうっすらと予想していた。


とんでもない。


この本には、なにもない。なーんにもだ。これのどこを読んでどう泣くのか。泣いたという人に是非とも聞きたい。この本が売れている、と宣伝したマスコミの人間にも聞きたい。なぜこんな本を売る手助けをする。
活字離れしている現代においては、こんなものであっても誰も何も読まないよりはマシだとでも言うんだろうか。
何度も引き合いに出して申し訳ないけれども、『リアル鬼ごっこ』には、小説を書くという行為への作者の愛だけはあった。中学生が大学ノートに書き溜めたような作品だったが、中学生が大学ノートに書き溜めるような情熱がそこにはあった。この本からは、それすら感じられない。


この本が売れているということを理由に世を憂いて自殺してもいいかもっていうくらいに、ひどい本だった。一冊残らず燃やして、こんな本は最初からなかった、ということにしてしまいたいくらい嫌悪する。
でも、売れてるんだよね。