祖父の入院が決まったのは、唐突にだった。風邪をひいたと聞いたのが2〜3日前。風邪だと思っていたのだけれどいつのまにかこじらせて肺炎になっていた、と聞いたのが昨日。どれだけ多くのお年寄りが肺炎で亡くなっているかを知っていても、やはり私には、肺炎であの祖父がもっていかれてしまうとはどうしても思えないままでいる。
昨日入院した病院の看護の仕方が気に入らないとかで、今日は朝から転院騒ぎにみまわれている。昨日も今日も父はテンテコ舞いで仕事どころではない。そんな父の姿をみていても、私は、気軽に病院の個室から個室へと転院していく祖父の経済力のことを考えるともなく考えるばかりであまり危機感を感じていない。ああ、そういえば、四街道にもう10年以上もキープしてあるホスピスの部屋があるんじゃなかったっけ、と思う。祖父が将来的に家族の介護だけで生活するのが困難になるかもしれない、という理由でキープしてあるあそこは、維持費が月に幾らと言ってたっけ?
私の中のプチブルへの反感というものが、祖父の容態を案じる気持を凌駕しそうになる、ので、ここらへんでストップ。
さきほど、せっぱつまった声で父が電話をかけてきた。この週末の間に一度は見舞っておいたほうがよさそうだ、と告げられる。弟にも連絡をするよう頼まれた。
そんなことよりお父さん、お父さんも風邪っぽいんだから、ちゃんと休んでくださいね、と言いながら、私は、ロフトプラスワンにいる間に訃報が届くようなことにはならないでほしいなあ、申し訳なさすぎる、とか、思っていた。
人の命や病気は、いつだってどこか浮き世離れしていて、実感がなくて、「こんなもんか」と思わせる。物語の中の死や病気は、あんなにも悲しく辛く胸を打つのに。


そういえば、祖母のお葬式に花柄のワンピースを着て来た母は、どうしているのだろう。