『夜のピクニック』 恩田陸

夜のピクニック

夜のピクニック

お、面白いじゃないか、恩田陸。くそ。面白いといわれているのに読んでいなかった本を読んでみたらまんまと面白かった時のこの悔しさは一体なんだ!
というわけで。数年前に読んだ『六番目の小夜子』以来の恩田作品でした。泣いちゃったよクソー。
まず、二度とは返らないとわかっている、痛いほどに自覚している高校三年生のあの頃という設定がずるい。いや、ずるいとか言ってもしょうがないわけなのですけれども。
なんだろうな。自分たちでも「今このときがやがて思い出になって、しかもそれは取り返しがつかなくて、一秒ごとを大事にしないといけないってわかってるけど、大事にするってどういうこと?」とか思っている間に卒業がきてしまった、あの空気。夜を徹して全校生徒で歩く、という特殊なイベントを通じてその空気がびんびんと伝わってくる。
この作品におけるメインは、偶然にも同じクラスになってしまったけれども口をきかないままに日々を過ごしている異母兄妹(姉弟だったかな)の関係に置かれているわけですけれども。私が心を打たれたというか、ひかれたのは、全体を覆う、かもし出される空気そのものでした。
恋する女の子たちの、言葉にはならない想いたち。それを、なんとなく口走ってしまったりする特殊なイベント。夜のピクニック
ああ、そうそう。私はこの本を読みながら、なぜか常に軽く嫉妬している自分を自覚していたのですけれども、それがなんだか今わかりましたよ。わかっちゃいましたよ。
恩田は、このピクニックを体験している。
そのことに嫉妬していたんです。
この夜通し歩くというイベントがある高校を私は知っていて、それは私のファムファタルがこの高校の出身者だからで、彼女からもこのイベントの特殊性は聞かされていたからなのですけれども。彼女に話を聞いていた時にはうらやましいなんて微塵も思わなかったのですけれども、この本を読んでいたら、その肉体の疲労感も含めてうらやましくてしょうがなくなってしまったのです。
なんだろうな。あの頃というのはもう絶対に取り戻せないわけで、だからこそ美化もされるわけなのですが。その貴重な時期に、あまり他の人が体験していない、忘れ得ない思い出がある、ということが、うらやましいのです。たぶん。
だから、この作中の子どもたちが羨ましいし、これを体験しているのであろう恩田も羨ましい。彼らの肉体的疲労を実感と共に描写できる恩田が羨ましい。この物語は「物語」であるから、異母兄妹という特殊な関係を通してなにがしかが語られるわけですけれども、そんな用意された「物語」なんていらないのですよ。この小説に出てこない一人一人に、たぶんこれに匹敵するくらいの物語がちゃんとあるのです。この小説のようにきれいではないかもしれないし、誰も何も決断できてないかもしれない。でも、それが。それこそが。


ちっとも本の感想になってないや。えへへ。
えーと、本の内容について触れるならば。私には杏奈の弟という存在がジャマに思えました。彼はキーパーソンというか、彼がいなかったら成立しないように書かれているのですけれども、でも邪魔。彼だけがリアリティーを感じない。コマにしか見えない。のです。彼がいなくても、ちゃんと彼らに交流させることは可能だったと思うのです。
他には特に思うことはないな。あ、私が泣いたポイントは


お母さんが女友達二人にこっそりと告げていた台詞でした。ベタやね。
この本の醍醐味は、自分の高校時代を振り返ることにあるのかもしれないな。近いうちに私が高校生活を振り返った日記を書いたら、生暖かい目で優しく見守ってやってください。