『対岸の彼女』 角田光代

対岸の彼女

対岸の彼女

日頃あまり読まない女流作家の「女」本を衝動買い。とても面白かったです。これを男性が読んだらどんな感想を抱くのかぜひ知りたいと思いました。そこのチンコ保持者はぜひとも読んで感想を教えてください。
マンコ保持者としては、なんていうか、目をそらそうとして、否定しようとして必死でやってきていることを突きつけられた感といいますか。うん、まあ、なんていうか、あれです。学生時代のどこかで一度もハブられたことのない女子は皆この本を鼻で笑った後で死ねばいいんだ。
以下、ネタバレ含み。
簡単に言ってしまえば、これは、(対処法は違えども)人間とかかわることに臆病になっている二人の女の友情の物語なわけでして。
オトナになっても女特有(ではないと私は思うんだけど)の「3人以上が集まって、そのうちの一人が抜けたらその一人の悪口大会になる」的な空気というものはなくならない。その圧倒的な絶望感を抱かずに生きている女性が、この世にいったいどれくらいいるんだろう。
女どうしでペチャクチャとおしゃべりするのは比類なく楽しい。でも、それは、裏切られる恐怖と裏腹なものだ、と常に覚悟している、この感覚。いっしょにいるときは楽しいけど、席をはずした途端に悪口を言われているんじゃないかという恐怖から先に帰ることができない、そんな付き合い。
そんな煩雑さを心から恐れている専業主婦の小夜子と、そんな小夜子をなぜか雇った風変わりな女社長、葵。葵の中に小夜子は強さを感じ、見出し、憧れ、しかし、ささいなことからその強さや憧れが、鈍感さや無神経さに見えてくる。そのゲシュタルトチェンジの瞬間のもどかしさ。女と女が友情を育むということの難しさ。
そして、挟み込まれてくる葵の過去。葵にはかつて、ナナコという、やはり葵の目には強く写る存在が居た。小夜子→葵→ナナコという構図。見事でした。

専業主婦だった女が働き始めた時の夫の反応。そこへの怒りや、小夜子の夫への対応のもどかしさ。それゆえに高まる葵への感情。
物語は最終的に、葵と小夜子を結びつける。そこには、女同士の友情の真の希望と可能性というものが見える。
けれども私には、小夜子が唐突に「葵はわかっていたんだ」と悟ることが納得いかなかった。どうしてわからないなんて思ったんだろう、と書かれていたけれど、「わかっていたかもしれないのに、なぜわからないと決め付けたんだろう」と自己嫌悪する気持ちはわかっても「わかっていたんだ」と断言する気持ちがわからない。
でも、夫に「言ってみれば動いてくれるんだ」と感じるところは好きでした。そうなんだよね。黙ってためこんでいるから、不満は不満としてたまってくる。
全体としては面白かったです。
一番泣けたのは、オトナになったら…というテーマでもある部分

葵ちゃんのお父さんが、タクシーでナナコを連れてくるところでした。ああ、それはお父さんの役割だね、と思って。お母さんにはそれはできないのだ。嗚呼、女って…
でもおばあちゃんになればきっと平気さ。そうさ。
対岸の彼女に、きっと声は届かない。けれど、懸命に手を振れば、返してくれるかもしれない。そうしたら、あの橋のふもとで、ゆっくりとお喋りしよう。