つづき。長すぎて死にそう。アニメ観る時間が!!!!

おもむろに、さっきまで喫茶店をモニターしていたテレビたちに、なにやら映像がうつり始めました。この人たちは、どうやら1月の公演にむけて一年かけて稽古しつつ、お互いを映像に撮りあって記録してきているようです。なるほど。

映像の内容

場面は、どこかの地下鉄の駅。T田くんが、なにやら言っています。いわく、もう辞めたい。それに対して、カメラを回しているらしき苅谷の声で「なんで?逃げるの?」云々。画面切り替わりまして、二人の出会い。また切り替わって、辞める云々でもめる二人。もう帰るからついてくんな!byT田くん 追う苅谷。「逃げるのかー!ばかー!もう知らない!!」また画面切り替わって、二人が初めて共演しようと決めたらしき時の画像。そこでなんとT田くんえらいことを言ってました。
「自分は絶対に逃げない」「(稽古は稽古というよりも9割喧嘩になると思うと言われて)望むところです」「自分も逃げられたことがあるんで、そういうことだけはしません」
なんか、こう、鬼の首をとられちゃいましたーっていう感じたっぷりの編集です。で、また画面切り替わって、やめたい云々の押し問答。
「絶対に逃げないって言ったじゃん!うそつき!」「それは、結婚する時に「末永く幸せにします」って言ってても離婚しちゃうようなもんだろ?」「全然ちがうよ」だらだらだらだら。
そこからまた切り替わって、うまくやっていた頃の二人。幸せそうに寄り添っちゃったりなんかしています。「私のこと、好き?」「そりゃ、好き?って聞かれたらそう答えざるをえないでしょう」ひゃ、ひゃーーー!なにその会話ーーーー!私いま、何みせられてるのーーーーー!!
思わず、中央の二人を見ずにはいられません。時折爆笑する苅谷。苦虫を噛み潰しっぱなしの表情のT田くん。ははははは。そりゃーなー!ていうか、苅谷の笑い声が不快でなりません。

つまりは、すべて苅谷のためだ

映像の内容は若干違っているかもしれませんが、まあ大体こんな感じでした。
「辞めたいと主張するこわばった顔のT田くん」⇔「始めた当初や、うまくいってた頃の明るい顔のT田くん」というコントラストは見事でした。ひでー。すごい見世物みせられてしまった。
つまりは、T田くんは、苅谷に個人的な感情を持ってしまったんでしょうね。そして何かがあって、どこまでが作品なんだか、どこまでがリアルなんだか、全部が虚構だったんだか、信用できなくなった、と。で、それに対して苅谷は言い放つわけですよ。
「カメラがまわっている時の私は常にオンの状態だ」と。「個人的感情なんてどうだっていいんだよ。作品が走り出した以上は、走りきれって言ってるの」
で、もう、完全な平行線。個人的感情だろうがなんだろうが、とにかく辞めたい、もうやってらんない、という意志を曲げないT田くんと、何がなんでも辞めさせないという苅谷と。
で、来ている客にむかって、今までをふまえて、ドタキャンに対してどう思うか、とか一人づつ言わせ始めたりなんだりかんだり。(ドタキャンはいけないと思いマースという意見が数人から出て、どひゃーってひっくり返りそうになりました)
心情的に、T田くんの気持ちはよくわかります。当たり前だーにゃ。
ほいでもって、苅谷の主張は「わかっててやってきてるんだよ」に尽きる。何せ映像の途中に「もー私つらい」「何もかも懺悔したい」とかなんとか、携帯にむかって喋っている映像がある。すっごい下手クソな演技だ。それ絶対に、携帯の話し相手いないだろ?この映像に入れるために一人芝居して自分撮りしたんだろ?という。
苅谷が撮りたかったのは、本当に恋をして敗れる男であり、そのための擬似恋であり、なにもかも最初から計算でしたよーと、そう思わせるためのカット。でも、カメラがまわっていないところでの私は本物よ、とか言ってみたり全部虚構と匂わせてみたり。
なにもかもが仕込みでした。それを受け入れて、乗り越えて、その先にある芝居をしよう!というのが、表向きの主張。そしてそのために、「ここでT田が降りたらこの作品が終われない」という主張を繰り返す。カメラの前で
某スレの「苅谷がやっているのは後だしジャンケン」という言葉が本当にぴったりです。

苅谷語録

「クリエイターとして途中で逃げるなんて恥ずかしくないの?」
「あんたじゃなくちゃダメなのよ」
「法廷っていう舞台で続きをやる?これだけのことをやってきておいて、国家権力のもとで続きをする?(ジョークらしいです)」
「最初からだましあいなんだよ」
「逆に私をだましかえしたりギャグにしたりするくらい頭が良くないと私の相手はつとまらない」
「でもできないからT田くんなんだよね」
「こういうジョークが通じないところがT田なんだよねー」
「あんたお笑いをわかってない」
「(二人に恋愛関係はあったんですか?という問いに答えて)ヒミツです」
「終わらせるためにこうして金かけて今日のこの舞台をお膳立てしてる(という主旨のこと)」
「逃げるなんて、絶対に認めない。あんたが続けなかったら、この作品終われない」
「途中で逃げられるなんて思うなよ。あんたドキュメンタリー舐めんな」
「(ここでT田くんが逃げるということこそがドキュメンタリーなんじゃないの?という私の問いに答えて)ここで認めないってことこそがドキュメンタリーなんだよ!」
「そういうT田とだからやりたいんだよ」
「役者だったら、作品を始めたからには、途中で逃げるってことも含めてオチをつけろ」
「お客さんのこと考えたことあるの?」
「タクシーで私をお持ち帰りしたT田くん」
「私ね、T田のことが、目に入れても痛くないくらい好きなの」

そして舞台は終わる

スタジオを借りているのは20:00まで。刻一刻とせまってまいります。でも主張は平行線。辞めたきゃー辞めりゃーいいじゃん。今回のコレでオチだってついたことになるっしょ。と激しくどうでもいいと思っているワタクシ。どうするんだかなーと思いながら眺めておりました。辞めたいなら辞めればいいんじゃないすかね?とか言っちゃった!
それにしても、苅谷が「個人的感情なんてどうでもいいんだよ」とか「タクシーでお持ち帰り」云々言うたびにT田くんの表情とか目が可哀想なことになっています。あーあー。
いよいよ時間。以前の公演同様に、時間とともに突然暗転いたしまして、扉が開かれました。わーこのまま放り出されるのかーと思いきや。「明転してください。ドア閉めて」の苅谷の声。
まだ続けるのかー。どうでもいいーでも見届けたいー。
だらだらと続く平行線の話し合い。つか、一方的に苅谷が自分酔いした言葉を吐き出しているのを、苦虫噛み潰しっぱなしのT田くんが見つめている状態。「いや無理ですから」ぐらいしか言いません。そこでおもむろに
「じゃ、裁判しましょうか。お客さんに決めてもらおう。1月の芝居のT田を見たいと思う人は、こっち。そう思わない人はこっち」
心底から、 知 る か よ !! と思ったのですが、私が座っていたのは「観たいと思わない」側。うーん。正直、辞めりゃーいいと思うけど、この状態をふまえて1月に彼が舞台に立つっつーことになったら、そりゃ観たい。ので、移動。
そしたら。あら。やめればー?とか発言していた私がそっち側にいったんで、みなさんちょっと目が点に。もしかして、今日一番ドラマチックなことしちゃいましたか?どっちの料理ショーで裏切る役やっちゃいましたか?というわけで、全員が「観たい」側へ。
いやー、T田くん、あなた何年芝居をしていて、この先どうするか知らないけど、観たいと思われる率100%になることなんて、今日この時ぐらいっきゃないよ?いい体験したね。
でも、まあ、別にだからといってT田くんの気持ちが変わるわけもなく。やりません、無理ですの一本調子。そしてまただらだらだらだらだらとした話し合いへ。
もう、知 る か よ 以外の言葉が浮かびません。もーーー。なんなのーー。この平行線っぷりが見世物なんでしょ?もういいっしょ?スタッフはいつでも撤収できるように機材を片付け始めています。どうでもいいいいいい。もーーーーー。で、最後は
「T田くんと二人で話したい。お客さん帰して」
という苅谷の一言でEND。他にどうにもしようがないもんな!

感想

うん、まあ、なんていうか、つまらなくはなかったですよ。人の痴話喧嘩を見せてもらった感というか。一人がやめたいと強固に主張している、自分と無関係なユニットの説得現場に立ち会わせるなんて機会は、そうそうないでしょうという意味で。
苅谷の、現実とリアルとドキュメントみたいなことにはビタイチ興味がもてませんが。なんつうか、「わかってるんだよ」を言い訳にする典型的な主張をみれたし、うん。非建設的って、こういうことね。こういうのを読んでも「建設的なことなんてしたかねーよ」と主張するんだと思います。それが苅谷クオリティー
T田くんが自殺をするとか、苅谷を刃物で刺すとか、苅谷が刃物で刺すとか、そういう展開を希望です。もちろん、T田くんが1月の公演に出るとなったら観にいきます。どんな顔してやるのか、ぜひ見届けたい。
と思ってる時点でまんまとやられてるんですかね…。