宇宙戦争妄想

ラストをネタバレます


ウイルス云々ではなくて、ボストンのほう。あれをハッピーエンドと受け取ることが私にはできません。昨日の感想でも書いたけど、私があそこで強く感じたのはレイの孤独というものでした。父親として成長したのに評価されない。あのあとレイは一人で「ごくろうさま、さようなら」ってされるんじゃないかという不安感。<追記>ていうか、されるよね。確実に。あそこにはレイの入る余地はないと明白に描かれていた。</追記>
ロビーが生きていたのは信じられないというか、おいおい展開だとは思いますが、でもなんていうか、あそこでせめてロビーがレイを親父として抱擁してあげなかったら救いがなさすぎるじゃありませんか。
ボストンの人たちがきれいすぎると昨日の感想で書きましたけれども、それは一種の暗示というか、レイとは相容れないメリーアンの新しい旦那の(言ってしまえばハイソな)世界の象徴であって、そのブルーカラーとしてのレイの世界とハイソなティムの世界の断絶というものはどんなに努力をしても(評価をされることはあるかもしれないけど)結局迎え入れてはもらえないというような絶望を感じました。
この映画は暴力の映画であるし、同時に私は絶望の映画だと思うのです。
ほいでもって、さらに妄想を進めるならば、あのロビーが生きていたくだりはレイの妄想だったりしてなーとかなり本気で思っています。映画を観ている最中から、ああ、このあとレイがどこかの廃墟で一人で目を覚ましたらどうしよう…と思っていました。本当の現実はあの道にポツンと立っているところで終了していて、あのあとレイは「ありがとう」の一言で放置され、自分を救済するためにせめてもの妄想として、レイチェルを選択したときに見捨てたはずのロビーを生き返らせたのですよ。それはつまり保護者としての自分の選択の肯定、ボストンの人たちの知らない苦しみへの自己評価。ああ、なんて孤独なレイ!
そう考えると、丘の向こうに消えたロビーが生きているはずがないというところに正解が見出せると思うのです。ということで、私はそう解釈することにしました。勝手に。