『短歌パラダイス』小林恭二

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

面白い!文句なしに面白い一冊でした。『俳句の愉しみ』も良かったけど、こちらのほうが面白かったなー。
面白いポイントは3つ。
短歌の読解というものが面白い。数人の歌人がいくつかのテーマに沿って各自の詠んだ短歌で勝負をするというのがこの本の主旨なのですが。著者である小林さんはその歌会の司会者であり、この本においては短歌の解説者でもあるわけでして。一読して自分が感じたことと、小林さんの解説のギャップだとか、そのあとに書かれている参加した歌人たちの議論のあつさだとか、千差万別の意見や読解がでてくる中で「ただしき読み解き」というものがおぼろげながらにも存在するということとか、何かと新鮮でした。書き手の込めた思いなんて読み手に正確にわかるわけがない、というのは、あぐらをかいた考え方ですよ!やっぱり!もちろん作品の最終的な解釈は読み手にゆだねられるというものですが、でも、57577という限られた文章量で、考えてチョイスされた単語でつづられる文章においては、自然と書き手は「最適な単語」を使用しているはずなわけで。そう考えれば論理的に読み解くということが可能になるんですね。この面白さは他では味わったことがないなー。(いや、もちろん私は読み解けるようになってませんのですけれども)
小林さんの熱さが伝わってきて、文章そのものが面白い。なぜ俳句から短歌へと興味がうつったのか、というくだりは本当にこみあげる何かがあるくらいに感動しました。読み手の不在という問題は今の文壇全体が直面しているものだとは思いますけれども、それにしても短文詩と呼ばれる世界の読み手の不在っぷりは激しそうです。俳句は無意で短歌は有意とか、無知なのでこれを呼んで初めて知りました。575の世界よりも57577の世界のほうがドラマチックなのは、単に情報量が増えるからってだけではないんだなー。短歌は文壇に残された最後の表現手段であるぐらいのことを言い切っていますよ。あつい。書き手があつい文章は読んでもあつくなる、というつい最近思っていたことを再確認しました。
短歌そのものが面白い。当たり前ですけれども、歌人によってぜんぜん違うんですね。私がこの本を読む前から知っていた歌人なんて穂村弘さんと俵万智さんぐらいだったのですけれども。いやー。面白い。水原紫苑さんとか、そうとう個性的で私のような素人でも「きっとこの歌あの人だ」とすぐにわかるようになりました。それにしても穂村さんの単語のチョイスのエッジのききっぷりたるや、惚れます。かっくいいいいい。なにも知らない私ですらそうなんだから、すごいんだろうなーと思います(小2的感想)
短歌に興味のない方も、ぜひぜひぜひ読むといいと思います。万人にオススメ!と声を大にして言えます。