ライトノベルは本離れを救うのか

本屋でバイト中の某氏と話していて、目ウロコだったのでメモ。
いま本屋で売れているのはライトノベルである、というのは最近の定石的事実だと思うのですが(このへんソースはありません!)(きっぱり!)(でも定石とか事実とか言う!)
私は、ずっと世間にもある風潮の通り、活字離れをして本読み人口がゼロに近づく憂慮すべき事態を考えればライトノベルと呼ばれるジャンルだろうがなんだろうが「読まれる」事態は歓迎してしかるべきなんじゃないのか、と思っていたのですが。(もちろんこの先には、入り口がライトノベルなだけで、いわゆる一般文芸に興味を持って進んでいく人口というものが少なくとも「存在」はするだろう、という希望があります)
こっから主題。
ライトノベルの定義はさておくとして、このミスの座談会のSFが売れているくだりを読んでもわかるとおり、「表紙のアニメ絵」というのは一つのキーワードというか特徴として捕らえられるわけで。彼の人曰く
「そんな表紙のものに読書癖がなかったのに喜んで手を出すのは「オタク」であり、つまり最近増加してきたラノベ読書層というのはオタクであり、ラノベが売れれば売れるほどに「読書はオタクのもの」的風潮が増してしまう恐れがあるから危険だ」(私的解釈)
ふーむ、なるほど。と目ウロコでした。
私の世代では読書する子は尊敬されていたりしたものですが、活字離れが進んでいる昨今、中高生の間では読書してるってくらーい!きもーい!的な空気がすでに存在しつつあると言います(これまた知り合いの現役高校生大学生の生の声以外のソースはナシ)。ラノベがはびこるというのは、たしかにその空気を増長させるものかもしれません。
もちろんオタク市場が右肩下がることは当分なさそうですし、そこをターゲットとして市場を組んでお金儲けをしていけば確実な商売ができそうですし、その中から一般書籍に手を伸ばす層も存在するでしょうから悪いことではないのでしょうが、本を読む層と本を読まない層との隔絶というのは増長するかもしれませんね。
で、同じ席で語られたことに
「二次創作をしていると創作つながりで出会う人間の中に二種類の人種がいることがわかって、それは、二次創作をやっていて読む本と言えば西尾や佐藤友哉だ、という人種と、二次創作をやっていて一次創作もやっていて読む本と言えば現代文学全般だ、という人種になる」
というのもあって、こちらも大変興味深く。たぶん、これは上で書いたことにも繋がっているわけで。乱暴に言ってしまえば前者はオタクで後者は本好きなんだと思うんですよ。二次創作って時点でどっちもオタクだとは思うんですが、つまりは、ラノベから一般文芸に触手を伸ばすオタク層というのは実はほとんど存在していなくて、本読みだったオタクがラノベを当たり前のように読んではいるんだけれども、ラノベから入ったオタク読者層はラノベの範疇で止まるんじゃないか、と。
まぁ、そこでラノベ出身作家が一般文芸に読者をひきつれて移行するってことがあるとこれまた変化してくることだとは思うのですが。ラノベを離れてもついていくくらいの作家読みする読者が横のひろがりを追求するだろうか、という疑問が……。
私はラノベラノベだからという理由で毛嫌いするようなことはしないけれども、やはりライトでポップでアニメな表紙の本を読むときには日ごろかけないブックカバーをついかけてしまうあたりに羞恥心を持っているわけで、読んでいることを隠さなくてはいけない、という意識というのは「年甲斐もなくアニメ絵表紙の本読んで!」と対電車で乗り合わせた赤の他人であっても思われたくはない、ということなわけで。それを思ったら、一般人がたとえなんらかのラノベに興味を持っても本屋さんであのテの表紙の本をレジに持っていけるかというと答えはもちろんNO!という感じがします。
何が言いたいかって、ラノベが売れている、というのは元々貪欲なオタクがさらに触手を伸ばしてきているから売れているだけで、非オタの人種に読書層がひろがっているわけじゃないじゃないか、本当に深刻に本はなれをしている一般層には浸透していないんじゃないか、売れてるヤッホーってわけにはいかないんじゃないのか、というお話でした。