『松浦純菜の静かな世界』 浦賀和宏

松浦純菜の静かな世界 (講談社ノベルス)

松浦純菜の静かな世界 (講談社ノベルス)

わりと恥ずかしい表紙シリーズです。最初で最後にしたいところ。
ひさびさに読んだ浦賀さんの新作(私にとっては)だったのですが。うーん。面白くなかったな。
さまざまな要素が全て想像の範疇のままでした。私がミステリを読むときには、「犯人はこの人だろうな」とか「こんな感じのことをしたんじゃないの」ぐらいのことはわかっていて、でも決定的な証拠となりうるような理屈はわからない。で、それを鮮やかに証明されて驚いたり、そのぼんやりとした推理の斜め上をいかれてド肝を抜かれたりするのが楽しいというスタンスなのですが(そしてこれは大多数のライトなミステリ読みの読み方じゃないかと想像しています)。そのボンヤリとした「こうなんじゃねーのー」が、ことごとく当たっていて困りました。サプライズどこーという。いやサプライズが全てじゃないけれどもさ。サプライズじゃないにしても、美しいまでの理屈とか、そういうの!そういうのー!
でもって構成自体も練られている感じがない。時系列を入れ子にして語るなら、なぜそれをもっと手前に持ってこない?とか、そういう工夫が皆無なので
こうなんだろうなー(推理)→そうなんだ(新事実)→わあ、こいつあやしい(新人物)→でもこうですよね(推理)→正解でしたー
という。なんて言えばいいんだ? 順番に読んでいれば何の感動もないままに終わる、というイメージ。
ある意味最大の見せ場であるはずの

純菜が手袋をとった後の、義手云々のところの衝撃の薄さったらない。それまで「力」とか言っていたけれども、それが本当に「力」であるのか、それとも純菜の内的世界でのみの妄想の産物なのか、判然としないまま、つまりはリアルに則した「力」などない原則の世界の物語であるのに、純菜はどうやら義手を嘘のように使いこなしているらしい、というその唐突に「事実ですから」という顔でつきつけられるファンタジーに、引かざるをえなかった。だいたいそこで、セックスを読者に想像させておく意味はなんだ。
書いている内に、だからこれは松浦純菜の静かな世界ってわけかーと思ってきましたが。でも私は基本的に

作中の「人をなぜ復讐の名のもとに殺してはいけないのか」議論の答えを主人公たちと同年代の少女に言わせるあたりにも感じたんだけれども、全般的にこりゃー逃げてないか。
と感じられてしまって好きじゃないのでした。