『削除ボーイズ0326』方波見大志

削除ボーイズ0326

削除ボーイズ0326

面白かった。
ひょんなことから主人公たちは、過去の3分26秒を削除することができる機械を手に入れて……という物語。あのときのあれさえなければ、という時間を、少年たちは気軽に、あるいは一大決心をして削除する。
物語全体の構造はとても単純な入れ子になっていて、そのことが効果的だったと私は思います。ただ、冒頭を記憶して読み進めて終わってみるとフーとため息が出て良い余韻なんだけれども、実際にもう一度冒頭を読み返してしまうと何かどこかがチグハグなような感じがしました。これはでも単なる感覚の話。基本的には好みです。
小学生の頃のことを私はもう上手に思い出すことができないから、これをリアルであると断言することはできないんだけれども、でも、リアルであると感じる。そういう子供たちでした。大人が思っているよりも遥かに利発で、でも非力で。「いつだって苦労をするのは子どもなんだ」と作中で一人の少年が語りますが、本当にそうなんだよナ少なくとも本人たちにとっては、と懐かしく思いました。
以下、ネタバレ

コウモリであるお兄ちゃんの自殺はもっとナイーヴなものだと予想していたので、そのへんが驚きでした。すっかり「加害者となってしまったことをキッカケにひきこもっている無口な兄」という記号への思い込みができていたようです。必死で何度も削除を行っていたのかと思うと、お兄ちゃんが哀れでなりません。でも、そうだよね。だってまだ10代だものね。
ところで、お兄ちゃんが削除しまくったことで、未来はズレたはずなのだけど、あの機械を手に入れる事件を削除しようとしてはたしてできるものなのか?というのが私の疑問です。たしかにそこまで時間を巻き戻したら「お兄ちゃんが削除した」ことが丸ごと消えるはずだけれども、でも今いる時間は「お兄ちゃんが削除した」時間の延長線上なんだよね? そのへんSFにうといのでどう解釈すればいいのかちょっと戸惑うところでした。まぁ、わからないので言われるがままに受け入れたんですけれども。そのへんを主人公自らに「どうなるかわからないけど」って語らせるのはちょっと反則かなー。
あ、あと、機械が壊れたから記憶が残るようになったっていう設定はちょっと読んでいて恥ずかしかった。
車椅子だったハルと、車椅子に乗ることにはならなかったハル。美化された過去と現実。何かを失うことで、思慮深さや思いやりを手に入れた、というのは安直ではあるけれど、でもわかりやすくて良かったです。
ところでどうして彼らは、機械を手に入れて最初にハルが車椅子に乗るようになった事件を消そうとしなかったんだろう。私は、それを「今の(車椅子の)ハルを否定することになるから」ととらえたんだけども、一言それに言及してあれば良かったのにな、と思いました。そしてラストで一度は否定したものを再度…っていう形のほうが美しい。
小中学生への推薦図書になると良い。