『ミミズクと夜の王』紅玉いずき

ミミズクと夜の王 (電撃文庫)

ミミズクと夜の王 (電撃文庫)

ああ、これは良かった。友人の二人が良かったと感想を言っていたのでポロリと買ってみたんだけど、とてもよかったですよ。
ひゃくぱーの偏見の下に言いますけれども、電撃でありながら妙な絵をつけなかったところが素晴らしい。どんなに評判がよくても、表紙絵が萌え絵とか漫画絵とかアニメ絵とかとにかくそういう系統の絵だったら私は買いませんでした。そういう偏見を捨ててよかったと思うこともたまにあるということは知っていますし、たまにそういう本でも買いますけれども、いまだにそういう絵の本には抵抗があるダメな人です。
以下、ネタバレ

ミミズクが夜の森にいる間は、その口調もあって割りと引き気味の姿勢で読んでいたのですが(はいはい、感情を失わなくてはいけなかった少女ねハイハイ)【1】「救助」されるという展開に驚き【2】誰一人として悪くはないということに驚き【3】全てが丸くおさまるべくしておさまっているのに感動している自分に驚きました。
しかしよく咀嚼できなかったのは、なぜ夜の王が囚われたままでいたのか、ということ。わざわざクロちゃんが逃げられるのにそこに居ると言ってくれているのに、わからなかった。
国王はよく描写できたなぁ。国のためが第一義である、か。
ありがとう、という言葉をオリエッタに聞くシーンでは、むー?と首をかしげたのに、その直後の、会いたいよおおおおおで泣く。そんな繰り返しでした。描写のところどころで、うわ寒いわ、となるのに

「あのね、あたし、あたしね(中略)幸せだったの」
嘘じゃない。それは、決して嘘じゃない。

というような部分でがーっと泣く。
ただ、一つ疑問点というか「むー?」となった大事な箇所をあげるなら、ミミズクのフクロウへの感情を「恋」の一言ですませるのか?ということです。オリエッタの一言以降、すっかり恋ということになっているけれども、もっともっと、根源的というか、人として渇望する人という抽象的な存在でよかったんじゃないかと思う。というか、そうであってほしかった……。

帯にでかでかと「泣く」と書かれているので、泣いちゃうかなーと構えてしまったのがもったいない。購買意欲に訴えかける力があるからなんだということはよくわかるけど、でも、何も考えずに手にとって、不意打ちをくらうほうが構えて読むより数百倍幸せな読書体験になるのにな、と思うといつももったいないと思ってしまう。
でも書くね。ものすげー泣いてしまった。
単語のチョイスに心を打たれて、とか、ある一文に胸を突かれて、ではなくて、物語の進み具合にというか、流れそのものの持つまっとうな力に泣く。そんな感じでした。これは良い児童文学です。
ところでなんで電撃なんだろうな? 児童文学として出版するよりも遥かに売れるとは思うし、文体的にはラノベ寄りだとは思うのですが。出版側もそのことを意識しているからこの表紙なのかなー?とか邪推したのですが。レーベルは作品そのものには影響しないけど……まぁ、そんなことはいいや。良い物語であることに変わりはない。