もうこういうの馴れ合いとか呼ばないの? ねえ

激しく残業をしたので疲れきっているのであるが、どうしても言及したかったのでしてから寝る。届けオレの愛。まぁ、昨夜のうちに言及しとけって話なんですが、昨夜は昨夜で冬の祭典にむけておおわらわだったのじゃ。わらわはおおわらわだったのじゃ(言い直してみた)
http://d.hatena.ne.jp/nigo/20071208#p1

自分がどうして801はナマモノにしか反応しないのかについて、元々、三次元を二次元化して恋愛対象としているから、801がナマモノ専門なのだなあと自分で最近納得しました。

なるほどなぁ、と自らの2.5次元への愛を参照してものすごく納得したのですが。

最初から物語が存在する二次元もので801をするには不自由さを感じてあまり魅力的に映らず、想像の余地が多く、かつたくさん創造しなければ物語が成り立たないナマモノがいいのかな。

導かれた先が真逆だったので大変に面白かったです。
3次元の人はどうしたって生きていてホンモノの情報が補充されてしまうから、自分の妄想との乖離に苦しくなるというのが私の結論でした。情報に触れれば触れるほど、本人そのものを知れば知るほどに想像の余地が削られていくその恐怖。あああああなたは腹黒い攻めっ子だったはずなのに、どうしてそんなにピュアピュアなんですかーという、妄想の崩壊は、色々なものを私から奪ってゆきました……*1 もちろんそこから、それならこうだ!とばかりに新たな妄想をしたりピュアピュアは演技だよ派に転向してより一層の腹黒設定にしたりするのですけれども、ホンモノのもつ笑顔のピュアっぷりの前に挫折したり自分の頭を自分で殴ったりする毎日……。苦しい。あたしくるしいわ。
しかもそこに「存在してる」もんだから、情報に限界がないでやんの。という。それどころか私の関わらないところでかの人の人生の物語は紡がれているんだギャワーとか気付いて夜中に絶望したりする、という。あなおそろしや。
その点2次元は、後付の設定資料集とかで驚愕の設定がでてくる場合とか、えーとなんだっけ、クーリングオフみたいなカタカナの単語で番外編みたいな意味のアレ、アレで思わぬ描写があったりとかする場合を除いては、物語の中で語られた以上のことは絶対に出てこない。想像し放題。わーいわーい。
だから、3次元を、2次元化して萌える。
と、私は思っておりました。
2次元の物語が物語としてあまりにも完成度が高い場合には余地がない!となることもあるのですけれどもね。そこで表現されていることが全てすぎて私の出る幕が皆無だ……となって。*2
想像の余地は3次元のほうが多いって、意外すぎる考え方だったわー。与えられた「物語」がないから物語を自作するっていうのは納得なんですけれども。
といっても私の場合は2.5次元と2次元なので何かが違うのかもしれないのですが。とかいっているうちにわからなくなってきたのですが、3次元ってなにかしら……? 手で触れることのできるものだけを信じろとお母さんは言っていたよ*3。でも2.5次元のあの人たちは、そこにいるのに触れないよ?

*1:冬コミ原稿への意欲とか

*2:直近の例で言うと、私にとってのグレンラガンはあまり余地のない物語でした。っていうか、カミナ。ヴィラルとロージェノムでおk

*3:ヤサコの