『死神の精度』 伊坂幸太郎
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/06/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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毎度伊坂の小説には極悪人だとか災厄だとか、普遍的に忌むべき存在、「絶対的な悪」というものが登場することが多いというのは衆知かと思うのですが。私はこの伊坂小説における「絶対的な悪」という存在がすごく好きです。「この世に絶対というものなどない」とか、「悪か善かは価値観の相違でしかない」とか、そういったくだらないことを全部ふっとばした価値観を与えてくれるなんて、なんて安心して読めるんだ。素晴らしいよ。価値観の多様性なんてもう飽き飽きだ。
ちょっと前から伊坂はこの「悪」というものを端的には書かなくなっていて、私はそれを寂しく思っていたのですが、今回はそれを素直に受け入れることができました。
この本は、人間界に送り込まれた死神が仕事をこなしていく短編集です。死神が関わる死は、事故や災厄による突発的な死。病死や老衰などのゆるやかな死ではなくて「なんで、どうして、こんな運命に」と思うような死。それは死神が調査をして「可」と判断したから起きる死なのだそうです。そして死神たちにとっては、人間の死よりもミュージックのほうが遥かに大事。
というわけで、この本のネタバレ感想。 一冊の短編集として、非常に満足です。
世の中には、どうしても逃げようのない神の巨大な悪意というものが存在しているけれども、でもだからといって世界に絶望しなくていい。私は伊坂を読むたびに、そう思います。
それにしても、伊坂は死神の語彙のなさのような、さりげないクスっと笑いがうまいね。下手にやったら寒かろうと思うんだけれど、ちゃんと面白い。
家事をしない父
「台所の床がなんだかザラザラするなーと思って拭き掃除をしたんだけど、それから台所に一歩も入ってないのに数日後にもザラザラしていたからよーく見てみたら、なんか虫の卵っぽくて、それから寝ないで掃除しちゃったよ」
と、父が言っていた。虫ーぎゃぼー!と言いながら、なんとも言えない気持ちになった。
私の父は、母と離婚する前、ほんとうに家事を一切やらない人だった。
今となっては物語りでしか見かけないような「自分のパンツがどこにあるかもわからない父」であり、風邪をひいて寝込んでいる母に「腹が減った」と訴える父であり、「ここが汚い」と指摘はするくせに自分は一切掃除をしない父であった。「気付いたならそのときにサッと拭いておいてくれればいいのに」という母の台詞を、一体何度聞いただろうと思う。私は毎年夏休みには母に連れられて母の郷里である松山に一ヶ月滞在していたのだけれど、その間父がどうしていたかというと、実家に帰って祖母に世話してもらっていたのだ。今思えば、どんだけ箱入りなんだという話しだ。
一人暮らしをしたことがなく、自分で家事をしたことがない父には、母がこなす家事に感謝をするということすらなかった。もちろん、一人暮らしをしたことがない子供達(私と弟)だって同じことだ。同じように昼間労働して疲れて帰ってくるのに、母だけがさらに家の仕事もするというその理不尽さを、父だけではなく、子どもである私達も当たり前のこととして受け止めていた。
母が父と離婚をした理由は*1父のそういった思いやりのなさに結局のところ拠っていたのだろうと思う。
今の父なら、きっと離婚されなかったに違いない。今なら母と暮らしていても、全てを押し付けたりしなかっただろうに。今なら家に帰ったら並んでいる食事に心からの感謝を捧げることができるだろうに。今なら、家事をするのがどんなに大変なことかわかっている今なら、きっと。
全部離婚して一人暮らしをし始めたからだということはわかっている、この「もしも」は無意味だ。でも、思わずにいられない。
今は世間の考え方もずいぶん変化して、結婚したら家事を奥さんが全部やってくれると思っているような男は大分減っただろうと思うけれど、母たちの世代は当たり前のように奥さんが家のことをやっていたんだろうな。もしも今、現代に生きているにもかかわらすそう思っている人がいたら声を大にして「家政婦を雇え」と言いたい。そのために金銭的負担が増えて生活が貧窮して、残業が増えても、きっと奥さんは嫌がらない。家事を全面的に押し付けられることに比べたら、同等に働いて解決するほうがずっといいに決まっている。
ま、全面的に養うだけの甲斐性があるならかまわないと思いますけれどもね!専業主婦なら家事をサボるなと私も思うよ!
*1:恋人が家を買ってくれたというウルトラcもくり出したけど