『死神の精度』 伊坂幸太郎

死神の精度

死神の精度

面白かったです。もともと伊坂スキーなので贔屓目であることは否めないのですが、それをさっぴいても面白かったと断言できます。
毎度伊坂の小説には極悪人だとか災厄だとか、普遍的に忌むべき存在、「絶対的な悪」というものが登場することが多いというのは衆知かと思うのですが。私はこの伊坂小説における「絶対的な悪」という存在がすごく好きです。「この世に絶対というものなどない」とか、「悪か善かは価値観の相違でしかない」とか、そういったくだらないことを全部ふっとばした価値観を与えてくれるなんて、なんて安心して読めるんだ。素晴らしいよ。価値観の多様性なんてもう飽き飽きだ。
ちょっと前から伊坂はこの「悪」というものを端的には書かなくなっていて、私はそれを寂しく思っていたのですが、今回はそれを素直に受け入れることができました。
この本は、人間界に送り込まれた死神が仕事をこなしていく短編集です。死神が関わる死は、事故や災厄による突発的な死。病死や老衰などのゆるやかな死ではなくて「なんで、どうして、こんな運命に」と思うような死。それは死神が調査をして「可」と判断したから起きる死なのだそうです。そして死神たちにとっては、人間の死よりもミュージックのほうが遥かに大事。
というわけで、この本のネタバレ感想。

読み終えたとき、顔をぐしゃぐしゃにして号泣してしまいました。泣く小説=良い小説とは決して言わないけれども、でもこんなに泣いたのはひさしぶりです。
吹雪の山荘のミステリ仕立てっぷりとか、いろいろ面白いところは沢山あったのですが、どうしてもひっかかっていたのです。あのストーカーに悩まされた女性が。同じ映画の同じ台詞を思わず口にするような人を見つけてルンルンだった彼女が。部屋にもどって件の彼の発見する死体というその悲しさに、その後の短編を素直に楽しめないくらいに、ひっかかっていたのです。そしたら、あの最後の一遍ですよ。その、喜び。
彼女が、あの素敵なお婆ちゃんになったということが本当に嬉しくて嬉しくて、彼女がちゃんと強く逞しく素敵に生きて行ったということに泣けて泣けて仕方ありませんでした。良かった。くじけなくて、本当によかった。
一冊の短編集として、非常に満足です。
世の中には、どうしても逃げようのない神の巨大な悪意というものが存在しているけれども、でもだからといって世界に絶望しなくていい。私は伊坂を読むたびに、そう思います。
それにしても、伊坂は死神の語彙のなさのような、さりげないクスっと笑いがうまいね。下手にやったら寒かろうと思うんだけれど、ちゃんと面白い。