GWにやったこと

  1. ひぐらし皆殺し編を最後までやりました
  2. 家族で佐野厄除け大師にいきました
  3. 出社をはさみました
  4. 平和苑に肉を食いにいきました
  5. 帰りにUfotable Cafeにいきました
  6. 麻雀をしました
  7. なるたる』を読了しました
  8. ミュージカルエアギアを観にいきました
  9. アニメを観ました


わりといろんなことをしていた。
では、気の向くままに個々の感想を書きたい順に書きたいと思います。

ミュージカル エアギア

ものすごーく面白かった!!!!
興味のない方はトンとご存知ないことと思いますが、ミュージカルエアギアはアニメでも主人公の声をあてていた鎌苅健太くんが急病で降板してしまいまして。なかなか不安な幕開けだったのですが。
これが。ちょう。おもしろかったーーー!!
いやーびっくりした。事前に初演を観にいった方々から「あの面白さは生で舞台を観ないとわからないよ」といわれていたのですが、本当にその通りでした。


なんと言っても私が「うまい!」と思ったのは、冒頭。
エアギアは、エアブレードとかいうローラーブレードの空飛ぶ版で飛びつつ競い合いつつ喧嘩しつつ……みたいな漫画だ、と私は大雑把に理解しているのですが、それを表現するために舞台ではローラーブレードを用いてまして。
舞台の上手、下手、奥、の三箇所に設置された「ノ」って形のスロープを、おそらくはスケートのプロと思われる群舞担当のみなさまが、これでもかっ!!と飛ぶんですよ。
これがもーーー観てて気持ちよくて気持ちよくて。
客席を横切る滑走用の通路も設置されていて、こちらはただ駆け抜けて(すべり抜けて?)いくだけなのですが、やっぱり目の前を滑走していく、その「空気の動き」というのは無条件に観客に訴えるものがあるーわー!とテンションが猛烈にあがりました。気付いたらヒューヒュー言ってた。ぐぐっと作品世界に入っていけてしまった。
構成うまいわー。


で、その後には当然スケーターとしては素人である役者たちの出番になるのですが。もちろんプロほどではないにしろ「当たり前」のような顔でブレードで走り回る役者たちに、一度も不安や不自然さを感じませんでした。
「あ、かっこいい」
って自然に思った、というか。意識させないってすごいことだよなーと思うので、すごいです(年長さん的感想)

特に急遽主演をすることになった上山くんの演じるイッキがかっこよくて、頼れるあんちゃん、って感じで、女の子にデレデレすんだろうなーって感じで、いや、もう、本当に良かった。
ちなみに彼は客席を横切るように設置されている滑走路のど真ん中で共演しているKENNくんのお顔にチュッチュするシーンがあったのですが、なんだか…いやらしくなかったというか…ありていに言ってしまえば、萌えには繋がらなかったのが、すごい、と思いました。うまく言えないのですが「普通の男の子がふざけすぎて幼馴染にちゅっちゅしている」以上でも以下でもなく見えたんです。これ良かったなぁ。そして、やられたほうのKENNくんはそのあとしばらく倒れているのですが、そのとき笑顔のままで固まって倒れていて、それもまた大変かわいらしくて良かったです。*1


あとは、物語としてジュリエット必要か……?などの疑問はあるのですが、hentai兄貴は必要ないけど必要だね!!とか、さっぱり伝わらないことと思いますが、楽しかったです。本当に楽しかった。

*1:こちらは…ちょっと萌えた……。

ミュに関する雑感、あるいはテニミュという奇跡

比較するようなものではない!ということはさておいて!(懇願)
通常、ミュージカルやお芝居というものは、踊りも歌も台詞も演技もできる限り稽古場で完成させて披露するもので、これ以上努力する余地はない!あとは観客という異分子を入れてどう変化するかだ!!というところまでもっていってから幕が上がるのが理想なんだと思うのですよね。人からお金をもらって舞台に立つ側の覚悟として、というか。
(もちろんアドリブ芝居だとか一概にはいえないものがあるのですが、あくまでも「覚悟として」「これ以上稽古の余地はない」状態で初日を迎えるのが理想じゃないかしら、ということです)(そんな状態はありえないよ派もいらっしゃることと思いますが、ということも含めて)
で、テニミュというものは、大きくその定石から逸脱している*1にも関わらず成立している、ものすごく特異な存在なのだと思うのです。永遠に「完成」がこない、というか。あの若者達の成長過程そのものが「見世物」となっている感というか。完成したものを板にのせてしまったら、もうそれはテニミュではないというような。
たとえば、元々中学生という設定年齢からはかけ離れた年齢のキャスティングをしているのだから、とキャストを続行し続けて、円熟した演技での青学メンバーになっていったら……と想像していただければおわかりかと思います。(ただし、私はDVDでしか観たことがないのですが、初代の頃はまた違う状態だったとは思います)
キレイに踊れて、聞きほれるような歌を聴かせてくれて、初日も千秋楽も基本的にはブレのない芝居をする。そんなテニミュ、わたし、求めてない!!


今回観たエアギアは、芝居の定石にとても近かった。磐石の芝居をしたうえでの上手な客席いじりの数々しかり、アドリブのはさみ方しかり。エアギアミュージカルは、おそらく漫画にもアニメにも興味のない人が観にいっても、それなりに楽しんでくることができたと思うのです。そこには演劇としての普遍的な面白さが、きちんと存在しているから。これは、素晴らしいことで、アニミュというジャンルの門戸を広げる可能性だと私は思います。
が。
その道は、つきつめていったら、NODA MAPや劇団四季やブロードウェイ*2なのだと思うのです。


テニミュの道は、つきつめていったところに何があるのか、さっぱり見えません。おそらく、道はないのです。
だからこそ、おそらく、テニミュの跡を継ぐなにかを今後つくることは不可能なんじゃないか、と感じるのです。
「不完全なままに幕があがることが完成形である」というイレギュラーさを、悪い意味ではなく「見世物」として成立できる。少なくとも、乙女たちのハートをわしづかみ、時には(ニコニコ動画などで)乙女ではない皆様のハートすらもわしづかみ、しかも、商業的に大成功をおさめている。
どういう要素がどう噛みあって現在のテニミュが生まれたのか、「不完全」であることが「完成形」であるがゆえに、誰にも分析できない。振り付けも作詞も脚本も、ありとあらゆるスタッフやキャストという要素をテニミュと同じにした別の作品を作っても、なぜかテニミュのような珍妙なのに素敵で中毒的な魅力を持っているような作品にはなりえないのは、「ない」を探すようなもので、不可能なことだからなのじゃないかと、思うのです。
そしてその奇跡をおこしている「このとき」「この場所で」「この人たちが」という刹那っぷりや唯一無二っぷりというのは、まさしく演劇が本質的に持つ最大な魅力なわけで。
こんなにも演劇としての定石を逸脱しているにもかかわらず、演劇としての本来的な魅力に最も根ざしているテニミュというものを、生で観ることができる時代に生きる私たちは、とてもとても幸せです。

*1:もちろん、役者もスタッフも完成を目指していることはわかっています。彼らの努力を微塵も否定しません。けれども、どう考えてもテニミュにおける歌や踊りはプロの技ではない、と断言できるレベルだということもまた事実のはずです

*2:これらをひとくくりにする意図をお察しください