読書日記 『九十九十九』 舞城王太郎

九十九十九 (講談社ノベルス)

九十九十九 (講談社ノベルス)

わー。なにこれ。やられたー。さすがは九十九十九
この本は、ミステリ好きのための、いや、講談社メフィスト系作家好きのための、本でした。いや、予想がついてもよさそうなものだったのですが。うっかりしちゃったなー。もちろんメタだなんだをコネコネとしているし、実在の名前がゴロゴロ出てくるし、この本を楽しむ前提には、講談社ノベルスのミステリを割と良く読んでいる必要があります。つまりこの本を読むために清涼院流水をまず読んだ私の判断は非常に正しかった。


<以下、ネタバレっていうかなんていうか>


えーとね、もうね、なんだかワケわからーん!(舞城風)なのね。平行宇宙でタイムスリップで奇形で。
でも、ひとつ言えることは、私はやっぱり舞城の文章が好きだっていうこと。時系列の入り乱れるこの構成では、各章の連鎖と分断っていうのはキーなのだけれども、そのキーで読み解くことはとっとと放棄。ひたすらに各章を、半ば独立した九十九十九の物語、として読みました。
そうやって読むと、すごく楽しい。清涼院が書いている時には「あァん?」と思っていた『みた人が失神してしまうほどの美形』も、スンナリと受け入れ。
セシルとセリカの名前が出て来た第1章なんかでは「ぎゃー!」って叫んだものね。楽しくて。


やっぱり、私が受け入れることができないのは、突飛な設定ではなく、へたくそな描写でした。
清涼院流水の小説が流水大説だろうがなんだろうか、どうでも良く。私はひたすらに彼の人の文章の下手糞っぷりが嫌いなのだなあ。


こういうものの説得力っていうのは、イキオイにあるのかしら。もちろん、それらが奇形の自分から眼をそらすための妄想(脳内平行世界)だった、という結論(という解釈であってる?あってる?)も含めて、わーって読みました。
私もツトム(九十九十九)と結婚したーい。正義と寛大と誠実、かわいー。大爆笑カレー、いいなー。この人の書く弟とか年の若い男の子って、本当にかわいい。


しかし、あれだなー。好きだな、と思っている作家が、嫌いだなーと思っている作家を認めているというのは、複雑な気分だな。
「俺は清涼院の意図してっこと丸わかりなのよ。コイツのやってっこと、あたらしーんだっつの。おもしれーんだっつの」


みたいな。とんがった人たちは、自分達だけの言語で喋りながら、その「先端の言語」をうらやまし気に眺める私達に「これ、すっごく面白いのに理解できないの?(ニヤニヤ)」みたいな真似をすることがあって、この小説には、そんな匂いがちょっとした。