『セックス・ボランティア』 河合香織

セックスボランティア

セックスボランティア

この本を手に取ったのは、確実に初っちゃん(id:hatsu_hatsu)の影響です。読んで良かった。ここ数カ月で読んだ本の中で、一番あっというまに読んだのじゃないかと思います。

出版社/著者からの内容紹介
障害者だってやっぱり、恋愛したい。性欲もある。
──その思いを満たすための「性の介助」の現実とは? 
彼らの愛と性に迫るノンフィクションの意欲作。
本はまず、日本で「障害者に対してボランティアでセックスをしたり、オナニーの手伝いをする人たち」や、その利用者に焦点をあてて紹介していく。障害を持って生まれて来たがゆえに、夢精以外に射精の方法を知らないままに30才近くになった脳性麻痺の男性。意外と利用者が少ない、という障害者専門の風俗店。障害者同士での結婚。軽度の知的障害者と中度の知的障害者の結婚生活、性生活、人生観。
とりあげているトピックは、どれもこれも「健常者」と呼ばれる自分の人生とくらべるまでもなく切なくて、読んでいて苦しくなるのに、ページをめくる手が止まらない。


障害者の性(セックス)というものは、長年タブーだった、とこの本は言う。その通りなんだろう、と思う。そのへんを、切り開こうというように、どんどん色々な人が現れ、色々なことが語られる。


筋ジスだか脳性麻痺だかを患った青年と結婚した、健常者の女性に、著者が聞く
「彼が障害者だということに悩みや迷いはありませんでしたか」
私も同じことを思う。その人生はつらくないですか、と思う。長生きしないかもしれない。日々の介護に疲れ果てる時がくるかもしれない。その不安に打ち勝つなんて、なんて強いんだろう。なんてすごいんだろう。


セックスボランティアというのは、障害ゆえに性欲も興味もあるのにセックスできずにいる人々に差し伸べられた手だ。けれど、セックスは、ボランティアをボランティアと割り切らせないものがある。お金が介在すれば割り切れるのか。割り切られたセックスに傷付くことはないのか。わかっていても、傷付いたり傷つけたりしてしまうのが、セックスなのじゃないのか。
そのへんのことにも、この本は触れている。答えは出ない。割り切っていたはずなのに、セックスボランティアの男性に彼女ができたと知って傷付く女性。セックスボランティアとして、男性が男性の自慰を助けることはできても、男性が女性の自慰を助けたら、そこには複雑な問題が、ボランティアを受ける側にもする側にも生まれてしまう、というジレンマ。セックスボランティアをしたいと立ち上がった女性が、実は彼女自身も自殺願望と日々戦うような精神状態だったという、一種の閉塞感。


人の好奇心や、同情心をくすぐりまくる前半は、やがてひとつの結論をあぶりだしはじめる。


そして、上記の紹介文にもある、「障害者だって」という言葉の持つ圧倒的な差別に、気付かされる。障害なんて、関係ない。そこに本当に必要とされているのは、結局のところ、恋愛であり、人間であり、関係であり、セックスだ。健常者と、なにも違わない。


上記の質問をされた奥さんが言う。


みんな、旦那には「よかったねえ」って言うんです。みんな、私には「えらいねえ」って言うんです。なにがよかったんだよ!なにがえらいんだよ!って言いたくなります
ウロ覚えだけど、こんな主旨。
頭ではわかっていたはずのことを、やっぱりわかっていなかった、と自覚させられる本でした。