友がみな我よりえらくみえる日は

まだゴミの回収車きてないよーって携帯で連絡してくれたので、ゴミをまとめていたらその間に回収車が来てしまったよ。
いろいろなヤル気ががくっとなくなって、パジャマのズボンに上半身裸でネットをしていたら、友人からメールがきていてあまりにもきちんと自分のしたいことに向かってまっすぐに努力していて、ええ年こいてぼってりした腹をダイレクトに眺めながらインターネットに時間を浪費してるバヤイか! と衝撃のファーストブリッドをくらいながらダラダラとこうして更新している我の手をじっと見る。みたいな。
いろいろなことをキチンとできる人になりたい、という思いと、キチンとした人になんてなりたかねーっという思いと。まぁ、普通は大人になるって前者を示すんだよなって思うんだけど。
ずっと大人になりたかった。大人はなんて自由なんだとずっとずっと思ってて、実際のところ今の自分はすごく自由でなりたかった大人の像に割りと近いから割と満足していて、この割とって部分が曲者で、私は自分を律することが得意な子どもだったのだけれど、自分を律することなく生きていいのが大人だと信じていてその種の自由さに憧れて手に入れてしまったもんだから、自分を律しないことこそが夢の実現に他ならなくて、実際のところは100%の実現ではないのだけれど(予想よりも経済的に余裕のある大人になってないとか、予想よりもアニメに時間をさきすぎている大人になっちゃったとか)でも自由を枯渇するほどの不自由の中にはないからあがくのをやめてしまったというか。
なんというか、いろいろと敗北感に似たものを人生に対して感じるときがあるのですが、これも感傷の一種(忌むべきなり! まっこと忌むべきなり!)とりあえずは洋服をちゃんと着て洗濯物をやってこようと思います。