『長い長いさんぽ』須藤 真澄

長い長いさんぽ  ビームコミックス
仲の良かった先輩が薦めてくれた『振袖いちま 』を私が読んだのが、高校1年か2年のときだったでしょうか。独特の線と世界観に惚れて、すぐに『ナナカド町綺譚』を買い、そして『ゆず―生きていく私とゆず』を買ったのでした。
書店でこの漫画をみかけ帯をみたとき、すぐには手に取ることができませんでした。私が初めて須藤真澄を知り、赤ちゃんだったゆずを知ってからそんなに時間が経過していると感じていなかった私は、なぜか「ゆずは交通事故か何かで急死したんだ」と思い込んだのです。そして、ゆずが赤ちゃんのときから知っている(いや知らないんですけれどもー)一人として、そんな唐突な喪失感には耐えられないと思ったからでした。
人づてに、ゆずは老衰に近かったみたいだよと聞いて、今日本屋で思い切って買ってみました。老衰。そうか、私が初めて須藤真澄を知った頃、すでに『ゆず』は発売されていたんだっけ。そうか、あのとき赤ちゃんだったゆずが、老衰で亡くなる*1ほどに時間が経過したんだ。そう思ったら、なんだか今度は読まないのが申し訳ないような気持ちになったからです。


がんがん泣いて、ちょっと引いて、読み終わったら、須藤真澄のしていた後悔に引きずられるように唐突に自分の人生への後悔がこみ上げてきてどうにもしようがありません。


あれから13年間が経過していて。私が弟と家族としてひとつ屋根のしたで暮らしたのが…10年間か。なんて短いんだ。たった10年だなんてなぜもっと家族と暮らさなかったのだろう。あの時は家を出たくて仕方なかったからしょうがない。わかっていても、なんでと思ってしまう。泣きながら、引越しの準備をしなくちゃ、荷造りをしなくちゃと頭のどこかで考えて、唐突に、ああ、父は一人で家族が暮らした鎌ヶ谷の家を片付けたのだ、あの箪笥も、台所にあったダイニングセットも、母の鏡台も、応接セットも、全部父が捨てたのだ。
どうして私は手伝いに行かなかったんだろう。考えてしまう。


予想をはるかに上回って、この本が私に与えたダメージは大きかったみたいです。
人生は、取り返しがつかないものだってことを、当分は考え続けている気がします。

*1:実際には老衰というよりも、病死といったほうが正しいみたいですが