げに恐ろしきは生活に溶け込むことなり

友人とも話していたのですが、常時接続環境が家にない状態だと、あきらかに「積む」度がさがりますね。特に如実なのが漫画*1でした。
常時接続していると、帰ってきてまずPCの前に座ってそのまま寝るまでなんかしらPCをいじったり徘徊したりしてしまうので、買ってきた漫画がそのまま放置される率が格段にあがります。今回引越しで数週間ダイヤルアップのみで生活してみてそれを痛感しました。漫画読むぞーってワクワクしながら買って帰って、わくわくしながら読んでました。ひさびさの感覚。
ここのところ漫画をあんまり読んでいないというか。唯一わたしが割りと精通している世界だった漫画のことすら疎くなってしまってもう私は終わりなんだわヨヨヨヨヨとかなっていたのをちょっと取り戻そうかと本気で思っています。
それでも常時接続が復活してしまうと「だから常時接続やーめよっと」とはならないのが恐ろしいところで、もはや、おはようからおやすみまでネットのある状態が日常であり、それを「なくす」という方向性には頭がいかないみたいです。
そういえば違う友人がmixiのことを「どんな仕様になろうとデザインになろうと不満とか思わなくなってきた。あまりにも日常のツールすぎて」みたいなことを言っていて、ああ確かになんでそんな機能つけるんじゃとは思っても、だからもうmixi使わないという方向にはまったく考えがいかないわけで、日常に一度溶け込んでしまうと人間はなかなか積極的に排除する方向にはいかなくなるもんだ、と思ったことを思い出しました。
こうやって人は知らないうちに全てを平板に貶めて退屈だ退屈だと呟くようになるんだなー。こえーなー(すみません思春期のような飛躍の仕方をしました)

*1:本の積み度はあまりかわらないのは、たぶん所要時間の違い