10話までの感想というかつれづれ箇条書き

公式を検索したときに出てくる

翼という自由を得るために、今日も世界のどこかで人は人を殺す−−アニメ『シムーン』 公式サイト

という文言はすごいですね。
審問でのネヴィリルの「私は神をどうでもいいと思っている。それでも私はシムーンシビラか?」という問いと、それに対する脊髄反射の「神をどうでもいいだとー!」と、擁護さんの「コールテンペストは必要です」に対しての答えとして「巫女であるとか、戦士であるとか、そういう区分なしに、シムーンシビラはシムーンシビラであり必要なのです」という明確な答えを出したことにはしびれた。
でも、それのなににしびれたのかがつかめない。
性差とか、戦士巫女とか、矛盾や選択はたぶんひとつのテーマで、そのへんに答えを出そうというあたりに私は痺れているんじゃないかなーと漠然と。なんで人を殺しちゃいけないの?とか、そういう答えにくい問いに対して、「価値観は人それぞれです」的なひよった意味も価値もない答えではなくて、ある意味一元的な「答え」を出そうという行為そのものに、私はとても弱いので。だから、なにはどうあれシムーンシビラはシムーンシビラなのです、という答えにはとても感動してしまったんだろうなー。神のために祈ることと、戦って国を守ることは同義であって構わないと断言したも同然だものな。
そういえばネヴィリルが神の名の元にリマージョンをもちいて幾多の人を殺してきているのだという自覚があることにもちょっと驚いたし感動しました。そりゃそうだよね。人の死のことを考えていたからネヴィリルはずっと引きこもっていたんだもんね。ずっとずっと、そのことばかりを考えていて、それでもシムーンシヴィラであることを辞めることができなかった、そのへんにすでに答えはあったというわけですよ。審問会でネヴィリルが突きつけたあの問いは、彼女の中ではとっくに答えが出ていたもので、それに対して上(上なのかな)がどう思っているのかを最終確認したかっただけなのかもしれない。そのへんを自覚していなさそうなアーエルとかに突きつける時がきたりするのかな。アーエルのあり方はあり方でネビリルは認めているというのは、その戦士としての強靭さゆえなのかな。なんというか、信念のない者が一番弱い、という。だから自爆巫女はアーエルを揺るがすほどに最強だったのだし、動けなくなりかけたアーエルをネヴィリルが動かすというのも大変に正しいのだな。うーん、ネヴィリルすげー。
ネヴィリルとアーエルの唯一の共通項っていうのは、シムーンシビラだってことかなーと思っているんですが。違うのかな。そんな単純なことじゃない? そんなの全員同じだもんな。なんじゃろ。
マミーナとロードレアモンの関係の修復は観ていて心地よかったです。ベタだけど、ベタじゃない。なんだろう。
あそこでロードレアモンがおさげを切り落とした理由がマミーナとの関係の修復そのものにあるというよりは「どうにかして自分達が飛び立たないといけない時なのに!」という感情が一義であって、その結果マミーナを動かすために一番訴求力のありそうな行為である「おさげを切る」に結びついたんだってあたりがすごい好きです。そのあとでメソメソするところとか、超良い。思春期に髪の毛を伸ばしたことのある乙女は誰だって知っているはずです。伸ばし続けてきた髪の毛を切るときのあの哀しみを。
あと関係ないけど

あたりにほのかなアレを感じているのですけれども、彼らは彼女らなわけで、いや、声がおばさんなだけのおじさんなのかしら。とにかく、倒錯しすぎていてなにがなんだかもー!です。