『こぼれ放哉』古田十駕

こぼれ放哉

こぼれ放哉

ものすごく面白かったです。
この本を読むまでの私はなんだか放哉のことをかなり美化して捉えていたみたいで、無欲な世捨て人か仙人かのように思っていたのですが、そんなことはなかったのですよね。いや、欲にまみれた人などでは決してありませんが。血の通った一人の人間として全然とらえていなかったのだなぁ、としみじみ感じました。
酒で幾度も人生を失敗し、自らの学歴に囚われ、ビジネスもし、なんというか、普通に生きていた「ひと」だったのですよね。
一番私がショックだったのは、庵に入ってからの生活のことです。ああ、もっと枯れた美しい生活をしていたのだと思っていた。私は中学生女子か。霞でも食って生きていたのじゃないかといい年をして本気で思っていたのですよね。
この本で描写されていた庵に入ってからの放哉の生活は、ほとんど打ちのめされたと言っても良いくらいにショッキングでした。
そして、それでなお残る一筋の光が句であった、というこの説得力。
私はずっと、放哉の句の持つリズムや手触りみたいなものをミーハー的愛情でもって好んできたのですが、それらはこんなにも過酷な人生の終盤で詠まれたものだったのか、だからこそだったのか、と、読み終わってしばらくは衝撃が抜けませんでした。

すべての生活を破産させて文学のみが残った

とあとがきにありました。何も知らずにこの文を読めば、齢32にしていまだ乙女な私はそのロマンチックな響きにうっとりとしたことだろうと思います。

放哉の句の魅力は、そうした形態上の斬新さによるものではなく、彼が満身創痍のうちに至った無残な境地で枯れの生命がせつなの光芒を放った、その光輝の鮮烈さによる。

まさに、その通りでした。
馨は、放哉を愛していたのだろうな。妻と名乗らずに庵に向かった馨も、井泉水も、みな切ない。


あと、なぜこの作者はこうも克明に何もかもを書けるんだろう……とかいうくだらないことが途中気になって仕方なくなる病気にかかりました。いやいや、伝記的小説だよ、と自分に何度言い聞かせても私の中のフシギちゃんが小首をかしげるので困った。


ひさびさにじっくりと読んだ甲斐のある良い本でした。