バウハウス・デッサウ展にいってきたよ

(写真が入ったデジカメをまるっと会社に忘れてきたので、写真は後日つけたす予定)(後日といってやったためしがない)(しますします)(やればできるこ)
入り口をはいると正面にバンと現れた大きなタイトルパネル。

「いまなぜバウハウスなのか?」
…う、うん。
バウハウスはデザイン史的に有名だし多くの芸術家や職人、デザイナーにも影響を及ぼしているし、実物を拝めるというならば私もぜひ自分の目で見ておきたい、と単純に思って来ましたスミマセン。他の美術館をみにいくときと、全然変わらないや。なぜいま、といわれましてもーと思いつつ、入場。


一階の展示スペースは、花器、食器、ランプ、椅子、出版物などさまざまな日用品の展示。


ここにあるものたちはレトロな感じがちょうど良くて、今の東京で商売したら売れそうなデザイン。売って売って。私が買うよ! 展示されているものたちは、緊急紙幣でさえも三色セットで額に飾られているのがものすごくかわいらしい。この時代の紙製品は、印刷の色合いや、シンプルなのに一癖がある字体がオシャレ。なんでもかんでもキレイに整えばいいってもんじゃないやね。いやお札は印刷技術が向上したほうが良いんでしょうけどね。偽札的な意味で。


展示されている、たくさんの学生たちの手による習作たち。

今回の展示は、学生たちの習作の展示にかなりの力とスペースが割かれていた。
あ、そうだよね、ここって、学校だったんだもんね、というすっごく単純なことを思い出す。へー。こういう勉強から生まれてきたんだなぁ、というすっごくシンプルな感慨。ここで学んだ人たちのうちの、一体どれだけの人たちが後世に残るデザインを残したんだろう。

そして来ましたよ、デザイナーズチェア。

ひとつ500円で「どれが入っているかは箱を開けてのお楽しみ」のデザイナーズチェアのミニチュア。箱買いする人も多かったアレの実物大が、目の前に並んでいるのには感動した。ミニチュアだとかわいいだけだけど、実物ともなるとその計算されているであろうフォルムや重量感が、なんかプレッシャーすらある。ゴゴゴゴゴゴゴ……!
座面の傾きや背もたれのアール。かわ、いい!すて、き!
完成当時も、「この角度がいいねぇ」なんて言いながら巨匠たちがナデナデ触ったり座ったりしていたのだろうか。

そして展示のラストスパートは、校長室の再現。

私、お部屋の再現ってだいっすきなんですよ。ハァハァ。切り取られた異空間っていいよね! 空中庭園とかも大好き!と鼻息荒くいった展示なのですが、最初に思ったことは「このオサレ校長室に呼び出しくらうのやだなー」でした。えへ。
黒とオレンジが印象的なこの部屋は、色による心理作用とか狙ってるんですよねきっと。冷静に頭を使うから机周りは黒、校長室を出て生徒のいる教室へ向かうドア付近には気分を向上させるオレンジ、とか。
斬新な色使いに加えて直線的な要素がかなり特徴的で、遠目から見ると校長室はパウル・クレーの絵画みたい。
……なんですけど!

仕事できる人は机がキレイ、とかよく言いますけれども。この校長室を使いこなすには、校長先生、相当のキレイ派である必要があったことと思います。とっちらかす派の人は無理よ。ある日突然「うわー!汚いー!耐えられないーー!せっかくの意匠がーー!!」って自分で自分を殴りながら転げまわることになるよ。
とりあえず、当然ながらとっちらかす派の私は「校長先生!ちゃんと片付けてください!」と秘書たんにしかられる校長先生という設定にして満足しました。それくらいの人間味があったほうが好かれるよ(わたしに)


すべて見終わって、ああ、今「シンプル」「モダン」と呼ばれているデザインはここからの派生なのだなぁ、としみじみした。いくつかの照明はまさにそのままの形で、インテリアショップにならんでいる。

会場の入り口で足を止めた「いまなぜバウハウスなのか?」という問いかけ。
バウハウスのデザインは「いまも」世界に大きな影響力を与え続けている。それをあまり意識していない私たちに、再認識させたかったんですね。そうなんですね。したした。しました。っていうか、学生生活をなんか妄想しました。時代の流れに翻弄されながらストイックにデザインというものを追及したのかしら…ホワワワワー


初代校長のグロピウスは「モノのデザインとは本質の研究である」と言ったそうです。なるほど、新しいものを生み出そうと血眼になるだけでなく、デザインの本質をちゃんと考えながらただの自己満足だけでなく使うヒトのためにデザインすれば、誰からも長く愛される素敵デザインが誕生するということですね、校長。そういえば高校のときの担任の野村先生も「デザインは実用のためにこそ生まれる」って言ってました。世界史の先生ですけれども。



うん。いいもんみました。絵でもなんでもそうだけど、実物をみて、作品そのものが発する重力みたいなものを感じるって、大事なことですね。
皆その目で確かめにいくといいよ! そして私のレポートがいかにはしょられたものだかに驚愕するといい!