とらドラ!

とらドラ!を観終わった時には、絶対にこれを絶賛するものか私は納得いっていない、いや、アニメとしてはすっごいオモシロくて毎週楽しみだったが、私はこの物語を絶賛しない!絶賛しないぞ!と固く誓い、自分の思うところを書き綴ってやるのだと息巻いておりましたが、なんかもうすっかり鎮火しました。
えーとね、大河はいつでも誰がみてもわかりやすく可愛くて、それは製作者の意図としてそうなってるんだからずるいよ、という話(でも可愛いんだよクソ)と、みのりんのことは超大好き!から始まって右肩下がりに嫌いにまでたどりついてしまったんだけど、それは、初期みのりんのあまりにも漫画的な明るさバカさ記号をアニメのバカキャラとしてとらえていたからこその愛であって、あそこに裏打ちされる理屈をつけられたら途端にダメになってしまったんだって話と、全員のことが大好きで、全員のことが嫌いだったんだけど、それはもう大人になってしまった私にとって、子どもの理屈で動いている彼らに腹が立ってしまうからなんだってあの回で気付いてしまったから、その気付きの瞬間から「とらドラ」という物語と私の間にはもう溝ができてしまって、面白いけど心を添わすことができない物語になっちゃったんだと思うんだ、というような話を書きたかったのでした。
で、その話をリアルでアニメの女友達にしたら「でも、そのみのりんが『自分の幸せは自分で決める』って言ったことは爽快じゃありませんでした?」って言われて、あーそういう見方もあるんだなーって目ウロコしたりもしたのでなんとなく感想語り合い心も満足しています。
でもさ。でもさ。そう言った舌の根も乾かぬうちに、一人で学校いったリュウジに「なんで一人なの!」って詰め寄るのって、やっぱりものすごく子どもだと思うし、やっちゃんがかなり徹頭徹尾「大人」として描かれていたことを思うと、それってわざとだと思うし、なんていうか、こう、全体的な「高校生の原理」の描き方が鮮やか過ぎてあざとくて、しかもうまいこと成長もさせちゃってて、鼻についたりしたわけなのだよ私は!!!(あ、なんか書いてたら割と盛り上がってきました)(よかったよかった)
誰よりも、やっちゃんがダントツで好きです。私は、やっちゃんが家をあけたのは、大見得を切ったリュウジに行き場所はないだろうから、どこにもいかなくていいんだよ、わたしのほうが出て行くからね、って居場所をつくってあげるためだったって信じてます。逃げてなんかない。あそこで「逃げやがった」とリュウジが思うのは、それがリュウジ(クソガキ高校生)の理屈のなかでは「逃げる」ことしか浮かばないからそう解釈したんです。やっちゃんは、あんな立派なお母さんは、そんなことしない。
あとまあ、他にも「もう一回」「もう一回」はリュウジ超勃ってたにちげーねーぜ、などの下世話な感想が山盛りあります。ちなみに、あれさ、あれさ、あのあとヤったと思う?!キャッキャッ という話題でもアニメ女子チームは盛り上がりました。オレはヤった派。だってあの帰りの電車の中でのエロ繋ぎ!あれはもう鉄板じゃない?ね? そんなことどうでもいいとは言わせないぜ。だって高校生の恋の物語だもの! 高校生の頃の最初のセックスの相手ですよ?しかも超可愛いの。それをあんなふうに理性的に待てる? とか、ほら、いっぱい考えないといけないことがある!
(自分でもなにを盛り上がってるのかわからなくなってまいりました)

あのあと二人は結局半年に1度の逢瀬から、年に1度の逢瀬になり、遠く離れた場所の大学に別々に通い、違う人間環境の中で違う恋をして、いつのまにか似た姿の人をみかけるとちょっとドキっとする、くらいの思い出になって、交わりあうことのない人生をおくると良いと思います。