『Θ(シータ)は遊んでくれたよ』 森博嗣

Θ(シータ)は遊んでくれたよ (講談社ノベルス)

Θ(シータ)は遊んでくれたよ (講談社ノベルス)

ごわー!どわんごー!意味はありません。聞け!魂の叫び!これはもう、なんていうか、シリーズとして出すのをやめてもらえないだろうかしら。というところに尽きる。
もしも、森博嗣を読んだことない人がこの本を買ったらどうすんだ、これ。いや、破綻とかはしないだろうけど。お願いだから、刊行順に読んでくださいと真顔で主張したい。なんか前にも書いたな、これ。ああああああ、ひどいいいいい。
というか、ですね。これはもう、ここまでシリーズを追ってきた人が仮想読者として書かれているわけですよね。アノ人とかアノ人とか。であるにもかかわらず、シリーズを追ってきた人間を「orz」とさせるというのは、一体どういう了見なんだーーーー。
まあ、読みながらまんまと「で、でちゃったーーーーー!」とか半笑顔で叫んだりもするわけなんですが(心の病気なので)
以下、キャラ描写について感じたこと。なにも知りたくないという人は読まないほうが吉。ミステリィ部分には触れていません。

でもそれにしたって、それにしたってさー。国枝先生しゃべりすぎでしょ?ねえ。萌絵ちゃん、老けすぎでしょ?なにその冴えないの。そりゃあいつまでも、おきゃん(おきゃん!)ではいられないだろうけど。正しく成長しているのかもしれないけど。だったら、萌絵ちゃん出すのおやめなさいよ!と言いたい。萌絵語録((c)ささっくん)なんて、今回皆無ですよ。
今回のシリーズの海月くんとナントカちゃん(ほら、名前すら覚えてない!)の薄いことったら。犀川と萌絵の後継者たりえない、という結論を出すための存在じゃないか、と私は睨んでいるのですけれども(Φにおいても、Θにおいても、海月くんの出した結論は浅いというか、まだ裏がありそうな気配をムンムンと漂わせているので。つまりは、シリーズまるまる使った『笑数』でもやるつもりなのかー!?)
でも、どうしたって目を引いちゃう萌絵が、まるで冴えないのですよ。
森信者として、贔屓目な考えをするならば、冴えなくなることこそが成長である(作中でもそんなこと書いてましたね)ということなんでしょうが。
あああああ。でも。でも。それにしても。ひどい。萌絵ちゃんが、くだらない。愛しくない。
ゼェゼェ。こういうことを書いていると、やっぱり私は森が好きだったんだなーとか実感しちゃいますね(心の病気なので)。そしてたぶん、このシリーズもちゃんと読み続けてしまうのだと思います。
以下、ネタバレ

なるほどね。ちゃらい動機にちゃらい解決。でも関係にシータと名付けた宗教的サイトは存在していて、その裏には真賀田四季がいるらしい、と。今回の焦点となった連続自殺に関しては、途中から捏造だけど、そもそもの最初の事件は真賀田四季からみ。
つまりは、真 賀 田 四 季 健 在 な り !
ということなんですよね。あ、あと、保呂草さんと、そっち側の組織も?