浴衣欲しいナ☆


数年前から言っているのですけれども、浴衣が欲しくてたまりません。でも今年はなんだか桁外れにほしくて、浴衣売り場にいってはさまざまな体液を垂れ流しつつ眺めています(触れると怒られそうなので浴衣には触れません)
わたくし、学生時代に日舞を0.1ナノミリミクロメートルほどかじったことがあるので、浴衣は自分で着付けることができるのですよ。半巾帯だって結べるンだから!
それにしても、巷のファッション誌の浴衣特集をみていると、色々いらんものもそろえろと言われるんですね。浴衣なんて肌襦袢と浴衣と帯と腰紐3本あれば着付けられますよ。みんな、だまされないで!!あと、まあ、私のように、標準よりも若干ふくよかな人は胸を潰して腹との段差をなくすためのタオルとか詰める必要があるわけですけれども…
一年しかやらなかったけど(そして大嫌いだったけど)やってよかったなぁ、とこういうとき(だけ)思います。
日舞のお稽古用の浴衣をちょっと放置してたらカビちゃったことも今はいい思い出です(だから今浴衣がない)
ああああー浴衣ー浴衣ー。ほしいーーーー。

裏ってなんだ裏って。

なんだか想像を超えてみなさまが反応をしてくださっているので強迫観念にかられて更新いたしました。うそです。るんるんで更新しています。日記、だいすきー!
というわけで。今回は皆様のご指導を参考としてみました。
まず、「目が古いんだよ!」という友人の指摘があったので、目を伏せてみました(解決になってない)(先延ばしです)
あと、先日のコメント欄で「うえーん」などのきもい擬音をつかったらどうかという指摘があったので、うンしょ、うンしょ、という萌え擬音を使ってみました。
内容も物欲オサレ願望日記なのでばっちり乙女だし、これで完璧だと思います。若干脱線していますけれども、そこはドジっこ萌えアンテナみたいなもので各自どうにかして萌えてください。
もう迎賓館の人に「それは萌えじゃない」とか言わせないぜ。


ここは私が萌え絵日記管理人になるまでをみんなで見守るインターネットって素敵ネ的展開をさせるつもりだったのに、はやくも頂点を極めつつあるよ。

『魔女の血をひく娘』 セリア・リーズ

魔女の血をひく娘

魔女の血をひく娘

マサチューセッツ州ボストンの研究機関でアメリカの植民地史を研究するアリソン・エルマンは、ある日、古いキルトの中から、多数の紙片を見つけた。それは、いまから340年あまり前に、「魔女狩り」の危機を生き延びたひとりの娘の「日記」だった。

マシャッ…マシャチュー…マシャチューセッチュ…マサチューチェッ…というアニオタ萌えネタはいいとしまして。その日記がまるまる掲載されているのが、この本でした。
とても面白かったです。平和に暮らしていた少女と祖母が唐突に陥れられる危機。残忍に殺されてしまう祖母を見守るしかない少女。そして「祖母が死んだら次は私だ」ということがわかっていながらどうすることもできない恐怖。それらはほんの序章にすぎないという現実。
私は日ごろ「魔女狩り」というものを、ともすると寓話のひとつであるかのようにとらえてしまうのですけれども、ああ、これは史実なのだ…と妙に実感しました。時代背景が解説されているわけでもなく、ただ本当に少女が淡々と書き綴った日記を転載してあるだけなのですけれども、それだけに怖かったです。その淡々としているっぷりが。
私がなによりも驚いたのは、彼女が魔女というものを(そして自分が魔女扱いされることを)どうとらえていたのか、という部分でした。


彼女も、彼女の祖母も、不思議な力を持っている存在として自覚して当たり前のこととして受け止めているのですね。なるほどなー。てっきり心当たりのない人たちが、薬草に詳しいなどの言いがかりで魔女狩りにあったんだと思っていたんですが。違うんだなぁ。不当だ、という意識は、だから「こうなる前はみんなだって頼っていたのに」「みんなおろかだ」というところにしかいかない。なるほどなぁ。
そしてまたそれを見抜き「私もそうだからわかる」という女性が存在しているということ。彼女個人に限ったことじゃなく、本当にこの頃にはそういう力があることが当たり前だったんだーというのはなかなかのカルチャーショックでした。
そして植民地に逃れてからの恐怖の日々と、最後の逃走。彼女はちゃんと生き延びたんだろうか…。とても気になります。カケルが助けてくれていると信じたい。
続編がすでに出ているので、私は買おうと思っています。
エンターテイメント的なものを期待してしまうと肩透かしですのでご注意を。