というわけで、時かけブロガー試写会にいってまいりました。

試写室というものに行くのが生まれて初めてだったので、一人用の皮張りソファーだキャー座り心地いーなーキャーってなりました。しかも紹介書く時ように画像もくれた*1ー! しんせつー! 平民の子なのでこういうことでキャッキャします。ご一緒したid:reriさんとid:screammachineさんは割と平然としていました。奴らは貴族か。
映画に関しては、細田監督作品だということと、例の飛んでいる少女の画像以外の事前知識はナシ。筒井康隆の原作と、原田知世主演の映画は小学生か中学生の頃に読んだし観た、という程度でした。

*1:というわけで、記事内の画像は試写会参加者と許されし証ですので無断転載とかしちゃいけませんよ。というか元の画像はもっと解像度が高くてきれいで開いてみてワーイ!ってなった。嬉しい。

『時をかける少女』

時をかける少女』公式サイト:http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php

あるきっかけから「今」から過去に遡ってやり直せる力、タイムリープ能力を持ってしまった紺野真琴は、ひとたびその使い方を覚えると、何の躊躇も無く日常の些細な不満や欲望に費やしてしまいます。
大好きなものはいくらでも食べられるし、いやなトラブルも即解決! ばら色の日々のはずだったのですが…。
(公式サイト http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php?cnts=story より)

これが。ものすごく。良かった。
ご招待していただいて、感想がベタ褒めっていうのはなんか気持ちが悪くて我ながらイヤンなのですが、本当にけなす余地がない良さでした。
映画の冒頭、真琴は二人の男子と野球ごっこをして遊んでいます。公式サイトによると、3人の関係は以下の感じ。

真琴は同級の女子とつるむより、3人で野球の真似事をやるのが放課後の日課です。交際というのでもない、のんびりとしたのんきな関係。
(同じく http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php?cnts=story より)

しかーし! 腐ったメスの目をしている私の心に浮かぶのはは「ハイハイ、ドリカム状態きたきた、ハイハイ。なーにがのんきな関係だよどうせキャッキャウフフしてドロっとしちゃうけど甘酸っぱい風味なんだろークソ、オメデてーなぁ、オメデてーよー!」という呪詛ばかり。ハルヒ・ショック(造語です)抜けやらぬこともあってかなりイラっとした目で眺めておりました。
しかも、この男子二人が茶髪のバカ男くんと、黒髪短髪眼鏡の医者の息子なんですよ。あ、もう、これは、ソチラ方向にしか……と、違う方向にワキャっておりました。
が。
15分も経過した頃には、そんなこと微塵も考えなくなっておりましたのですよ。
一度はワキャった腐れ方向に、作品途中で目がいかなくなるなんて、びっくりです。しかもドリカム状況憎しという思春期をこじらせたこと丸わかりなメス憎悪もなりをひそめるなんて。それどころか、いつのまにか、真琴を大好きになるなんて。
腐った目で作品を愛するとき、私はその作品そのものが持つ本来的な魅力は見えなくなっています。そのことをわかってはいるのです。腐女子的な番組鑑賞の仕方が長らくひそやかなるものであるべきだった理由の根源は、そのへんにあるんじゃないかと個人的には睨んでいますって大昔のお話ですし今は本題に関係ない。とにかく、それを自覚しつつも、楽しいから、幸せだから、時に私は腐った目で作品を愛するのです。けれども、この映画は、そうなりかけた私を物語そのものが持つ力で「作品そのものが持つ本来的な魅力」に立ち返らせてしまった。いつのまにか。
ああ、お馬鹿な女の子って、最強だ*1 *2片思いって最強だ。タイムリープって最強だ。エゴって最強だ。青春って最強だ。
未来は世界を待っている。
観終わってから、切なくて、思い出のなにかをくすぐられて、陳腐な言葉しか持たない自分がいやになって、動けないような、それでいて、気恥ずかしいことですけれども「ああ、わたしもちゃんと前に進まなくッちゃなー」とボンヤリ思わせるような、そんな映画でした。
劇場で公開されたら、絶対にもう一度行こうと思います。そして、そのへんに転がっているテンプレ明るい少女と真琴の決定的な違いをちゃんと考えられるようになってもう一度ちゃんと感想を書きたい。
何度も言うよ。いい映画でした。*3

*1:夜にいったロフトプラスワンのイベントで細田監督自身が「あれはかなり自分の女性の趣味がでている映画です」と宣言していたので、私と好みが丸かぶりということが判明しましたワーイ

*2:もちろん真琴はただのお馬鹿なだけの子じゃなくて、そこには色々な事があって、意味がある

*3:脚注が長くてきもいと言われたので削ってみたのだけど削れていないというこの不思議。

『流星ワゴン』 重松清

流星ワゴン (講談社文庫)

流星ワゴン (講談社文庫)

う、ううううん。なぜか何かが気持ち悪かった。いや、何かが、じゃありません。正直に告白いたしましてセックス描写が気持ち悪かった。上の『時かけ』の感想と併せると、どんだけの乙女なんだ貴様は、という感じですが、申し訳ないけれども受け入れがたいものがありました。
もちろん作品上セックス描写にはちゃんと必然性があります。が。つきつめて考えると、その、必然性のありかたが気持ち悪かったのです。私は親父小説を親父小説だからというだけの理由で嫌いはしいないのだけれども、でもこれは受け入れがたい「中年の悲哀と救済」の物語でした。本当に、本当に、申し訳ないのだけれども「救済されてんじゃねーよバカ」と思ってしまった。
いや、もちろん単純な救済ではなくて、彼はここから小さい努力をコツコツと重ねて人生を軌道修正できるかナーってとこなのはわかっているんですけれどもね。でも、なんだ。「今までの人生でほんの少しだけ思いやりを持ったり想像を働かせたりすることができなかったツケ」の清算をさ、できちゃうっつーファンタジーはさ、私には、なんか許せないんですよ。